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自分は竹島が日本領であることに疑いがないと信じていましたが、その自信がちょっとぐらついてきました。
<報道>
「独島は鬱陵島の付属島しょ」 日本の公文書に記録
朝鮮日報 2012/10/15
*http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/10/15/2012101500966.html日本が独島(日本名・竹島)を島根県に強制編入する3年前の1902年に独島を鬱陵島の付属島しょと認識していたことを示す日本の公文書が初めて公開された。問題の文書は、1902年5月に釜山の日本領事館が本国に送った「釜山領事館報告書」と題する文書で、独島を「松島」「リャンコ島」など呼び、鬱陵島を独島の本島だと認識する内容だ。この史料は在日韓国・朝鮮人史を研究する朴炳渉(パク・ビョンソプ)氏が日本の外務省外交史料館で発見したもので、世宗大の保坂祐二・独島総合研究所長が入手したものを14日、本紙に公開した。
報告書の「第七、漁業の状況」(原文は歴史的仮名遣い、以下同)という部分には「本島(鬱陵島)の正東(真東)約五十海里に三小島あり俗に之(これ)『リヤンコ島』と云(い)い、本邦人は松島と称す」とした上で、同島では多少のアワビが取れるため、本島より出漁する者があるが、島には飲料水がないため、長期の出漁は不可能であり、4?5日で本島に戻るという記述があった。
これまで日本は1905年の島根県告示で、無主地だった独島を編入したと主張してきた。
蔚山大のシン・ヨンハ碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は「1900年に大韓帝国が政令第41号で、鬱陵島を本島として、竹島、石島を含む鬱島郡を領土として公表している。02年の日本の警察による報告書でも鬱陵島を本島と呼び、独島を付属島しょとして記録している。これは当時の独島が韓国の領土であることを間接的に証明するものであり、大きな意味を持つ」と指摘した。
上記報道について半月城さんの解説
<転載>
「独島は鬱陵島の付属島嶼」 日本の公文書に記録(朝鮮日報)について/半月城さんから
「薔薇、または陽だまりの猫」 2012/10/17
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/a0dccce8cc2bf49f87f31ea5c76e223c記事にある日本の公文書、すなわち1902年に釜山の日本領事館が外務省へ送った報告書ですが、これは欝陵島に駐在する警官の調査書をそのまま写したものでした。
ここで注意すべきは、欝陵島の警官というのは日本人しかいなかったという点です。当時、帝国主義国家の侵略にあえいでいた韓国政府は辺境の欝陵島に警官をおく余裕がないばかりか、そもそも開港していない欝陵島に日本人が居住するのはすべて違法なのに、彼らを追放できないありさまでした。
それにつけこんで一旗あげようとする島根県民などが欝陵島へ押しよせて同島の治安は次第に悪化しました。そのため、日本は1902年から朝鮮政府の反対を押し切って欝陵島に日本人警官を常駐させたのですが、そのせっぱ詰まった事情が常駐警官の報告書(1902.5)にこう書かれました。
(欝陵島の日本人の)人口頓(とみ)に増加し 従来の取締法にては到底整理すべからざるのみならず 渡航者は概ね無智文盲の儕輩(ともがら)にして日々紛擾を起し 強は弱を凌ぎ 智者は愚者を欺き 甚しきに至ては 兇器を携え 暴行を加え 他人の物件を強奪せしことあるも之を制止するものなく 非常に良民を苦むること少からざる
この報告文では具体的なイメージがわかないのですが、山陰新聞によると「韓国竹島(欝陵島)へ出稼するもの 村内段々多くなる様なるか 此頃該地より帰村せしもの数人あり 同島は無政府の有様にて隣村の一人は本邦人の為に殺され 木の枝に吊るし有りとのこと 昨年も御山人一名同様の惨殺に遭へたり」(1902.1.30)とされましたが、死体が木に吊されたままというおぞましい光景にはぞっとします。
かつて日本政府は、1899年には韓国政府の要求を入れて欝陵島の日本人に帰国命令を出しましたが、1902年には韓国の要求に対して日本人を帰国させるどころか、開き直って同島に日本人警官を強引に常駐させるようになりました。まさに欝陵島・独島は日本侵略の最初の犠牲地でした。その象徴が日本人警官の常駐ですが、前記の報告書を書いた警官は、さらに竹島=独島(リヤンコ島)についてこう記しました。
本島の正東約五十海里に三小島あり 之を「リヤンコ島」と云ひ 本邦人は松島と称す 同所に多少の鮑を産するを以て 本島より出漁するものあり 然れども同島に飲料水乏しきにより、永く出漁すること能はざるを以て、四、五日間を経ば本島に帰港せり
この報告書以前の竹島=独島漁業といえば、島根県漁民ではなく、漁業先進県の長崎県や大分県などの漁民が欝陵島を基地にしてフカ漁やアワビ漁などをおこなっていました。彼らは清国へ再輸出するため、欝陵島や竹島=独島で獲ったアワビやフカヒレを欝陵島で乾燥、保存加工して日本へ輸出していたのでした(注1)。
こうした輸出品に対して欝陵島島監は1900年まで輸出額の2/100を輸出税として通貨代用の大豆で徴収しました。これは日本人の不法居住を認める代償になったのですが、こうした徴税活動をとおして島監は港を出入りする船を監視し、竹島=独島を把握していたようです(注2)。
一方、警官の報告をとおして釜山の日本領事館はリヤンコ島(竹島=独島)を欝陵島の付属島嶼と認識しました。この報告書は外務省へ送られ、通商局から『通商彙纂』として発刊されたので外務省も同様に竹島=独島は欝陵島の付属島嶼という認識を持ちました。
ちなみに日本政府の竹島=独島認識ですが、江戸・明治時代をつうじて幕府や政府が竹島=独島を朝鮮領と判断したことは何度かあっても、日本領と判断したことは編入前に一度たりともありませんでした。
そのような竹島=独島を日本は「無主地」という名目で1905年2月に日本領へ編入したのでした。その原動力になったのは、外務省の「(日露戦争の)時局なればこそその(竹島=独島の)領土編入を急要とするなり、望楼を建築し、無線若くは海底電信を設置せば敵艦監視上極めて屈竟ならずや、特に外交上内務のごとき顧慮を要することなし」という見解でした。ここで「内務のごとき顧慮」とは、内務省が竹島=独島は「韓国領地の疑いある」として反対したことを指します。
結局、外務省の意見が決め手になり、竹島=独島が日本領へ編入されて島根県の管轄下になったのですが、「版図の取捨は重大の事件」であるにもかかわらず、官報には掲載されませんでした。
そのため、釜山の日本領事館すら竹島=独島の編入を知らなかったようです。1905年9月、日本領事館は常駐警官の報告「欝陵島現況」として「トゞと称する海獣は、欝陵島より東南約二十五里の位置にあるランコ島に棲息し 昨年頃より欝陵島民之を捕獲し始めたり 捕獲期間は 四月より九月に至る六ヶ月間・・・」と記して外務省へ送りました。
欝陵島に深く関わった日本領事館は竹島=独島の領土編入を知らず、ランコ島(竹島=独島)を欝陵島民がトド(アシカ)猟をするような島、すなわち欝陵島の付属島嶼として認識したのでした。
この報告書は外務省『通商彙纂』に転載されたばかりか、官報(1905.9.18)にも掲載されました。上記の文は領事館報告とはいえ、日本政府が何ら問題がないと判断して官報に掲載したのでした。
官報はいうまでもなく日本政府の公式見解を記す刊行物なので、「ランコ島」は欝陵島の付属島嶼という認識が日本政府の見解になったといえます。これは、竹島=独島を無主地という名目で領土編入した日本政府の措置が不当であったことを示します。
また、当時において竹島=独島が欝陵島の付属島嶼であるという認識は韓国側にもありました。欝陵島を基地にした韓国人の竹島=独島におけるアシカ猟は1895年には始まっていたのですが(注3)、付属島嶼であることの確認は公文書でも可能です。
具体的には、1906年に島根県の竹島=独島・欝陵島調査団が欝島郡守を訪問して竹島=独島が日本領になったと告げましたが、郡守はこの事件に関して「本郡所属の独島が外洋百里にある……」と記して韓国政府へ報告しました。郡守は竹島=独島を欝島郡の所属であると認識していました。これは1900年勅令41号で欝島郡の管轄下にされた石島を独島と認識したものといえます。
このように当時において竹島=独島が欝陵島の付属島嶼であれば、現在の領有権論争に決定的な影響を与えます。1952年に発効したサンフランシスコ講和条約は第2条に「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と書かれましたので、日本は竹島=独島も放棄したことになります。
梶村秀樹は、「竹島=独島の問題では韓国側に相当の理があるが、日韓大陸棚法は全く理がないと思う。また、竹島=独島問題では、日本政府の主張は相当無理だが、尖閣諸島の問題では五分五分の理があり、いわゆる「北方領土」問題では、まだしも日本側に理があると思っている(注4)」と記しました。ただし、これは1978年に書かれた文章なので、その後、30余年にわたる学問の進展でそれなりの変動があることでしょう。
(注1)朴炳渉「明治時代の欝陵島漁業と竹島=独島問題(1)」『北東アジア文化研究』31号、2010
http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park201003.pdf(注2)朴炳渉「明治時代の欝陵島漁業と竹島=独島問題(2)」『北東アジア文化研究』32号、2010
http://www.kr-jp.net/ronbun/park/park-1010.pdf(注3)池内敏「竹島/独島と石島の比定問題・再論」『テクストの解釈学』水声社、2012、pp.424-425 (PW必要)
http://www.kr-jp.net/member/ronbun_cl/ikeuchi/ike-1203.pdf(注4)梶村秀樹「竹島問題と日本国家」『朝鮮史と日本人』明石書店、1992、p.356