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東電と経産省が増幅した原発災害
鶴岡憲一
2011年3月24日
独立系メディア E-wave Tokyo
LiveDoorブログ版http://eritokyo.jp/independent/tsuruoka-fnp001.html
■実態示した日本の“原発安全文化”
「日本でも原発事故で広範囲に放射能汚染される可能性は絶対に無い、とは言えない。その恐れを少しでもなくしていくには原発による発電シェアを下げていくしかない」。
そんな思いを抱いたのは、1989年9月から約2年間にわたった旧通産省(以下、現在の名称の経済産業省の略・経産省に統一)・資源エネルギー庁の取材を、読売新聞社会部の記者として担当し始めて間もなくだった。
同省担当の社会部記者の大きな役割の一つに、エネルギー産業分野の事故取材がある。なかでも、万一発生すれば大事故になることがあり得る原発事故は、確率が低くても準備だけはしっかりしておかなければならないテーマだ。その作業として始めたのが、海外で起きた大事故、特に86年のチェルノブイリ原発事故や79年のスリーマイル原発事故の概要をつかんでおくことだった。
原子炉そのものが爆発し、放射性物質を欧州はもちろん、日本やアメリカ大陸にまで拡散させたチェルノブイリ事故の被害者は、旧ソ連国内で放射性ヨー素の吸飲による甲状腺がんが子供たちの間で増加し、死者が相次いでいた。
ソ連よりは原発の安全対策がしっかりしていると思われていたアメリカのスリーマイル事故は、それより7年前の出来事だったが、多数の周辺住民が家族ぐるみで避難する映像は日本の国民にも大きな衝撃を与えた。
ひとたび深刻な原発事故が起きた場合は鎮静化が難しく、影響が広範囲に及ぶことを示した二つの事故を詳しく知るにつけ、「こんなことを日本で起こしてはならない」という思いが強まった。
だが、日本の電力業界や原発推進論をアピールしてきた学者らの間では、特にチェルノブイリ事故後、「日本の安全文化はソ連などとは違う」とか、「ソ連の原発とはタイプが違うから、あんな事故は起きない」などとして、「日本の安全文化を海外に広める必要がある」という趣旨の見解が強調されていた。
しかし、今回の東京電力福島第一発電所の事故は、日本では未曾有の大地震に伴う大津波がきっかけになったとはいえ、原子力発電分野における「日本の安全文化」なるものが、いかにいい加減なものであったかを赤裸々に示した。
■遅すぎた海水注入
その主役はもちろん、事業主体の東電である。事故は様々な要因が連鎖的につながることによって発生するだけでなく、被害が拡大していく。そうした安全工学的な視点で東電の初期対応を検討すると、事故拡大防止の大きな機会を逸していた事実が見えてくる。
原発事故で何より回避しなければならないのは核分裂反応の暴走だが、この点では、運転中だった1~3号機を緊急自動停止できたことは成果だった。しかし、燃料棒が冷えるまでには相当な期間が必要であり、その冷却を実現できなければ、暴走の結果としての炉心溶融につながってしまう。冷却のためには水の注入を続けなければならず、注入には電源が必要だが、通常の一次外部電源、二次の予備電源ともに津波のためにダウンした。
ところが、それ以上の電源喪失に備えた三次的電源車の準備が不十分だった。近辺に用意していなかったため呼び寄せに時間がかかってしまったのである。その間に、まず1号機の燃料棒を浸していた冷却水が放散熱のために蒸発したあげく高熱の燃料棒が露出し、温度が上昇して水素を発生させ水素爆発を起こすに至った、と推察される。
時間経過(以下、3月17日付け日経新聞)でみると、3月11日に大地震発生から約7時間後の午後10時ごろ、「冷却機能が低下」と判断された。翌12日午後2時15分には、経産省原子力安全・保安院が「1号機で炉心が溶融した可能性」に言及した。
同3時36分、1号機で相当大きな水素爆発が起きた。同7時50分、政府は原子力災害対策特別措置法に基づき原子力緊急事態を宣言した。それから2時間半後の同10時20分になって、東電はようやく、付属設備による冷却水補給をあきらめて海水注入に踏み切った。
問題は、海水注水のタイミングである。スリーマイル事故後、日本でも炉心溶融は絶対あってはならない事態であると言われてきた。放射性物質の拡散を招く。その結果、鎮静化作業を難しくして拡散量を増大させ、影響地域を拡大して多数の住民避難の必要性を生むからだ。原発事故では何よりもスピーディーな初期対応が肝要とされるゆえんである。
従って、炉心溶融の可能性が推察された時点こそが海水注入を決断すべきタイミングだった。この時点で注入していれば燃料棒をある程度冷やせて水素の発生を抑えることが可能になり、水素爆発を防げる可能性が広がったはずである。水素爆発の規模は相当大きかったことがテレビで放映された。
爆発瞬間の画面からも、1号機建屋の上部で鉄骨だけ残された残骸からも想像できるが、おそらく、内部の機器、装置、配管などに影響を及ぼしたと思われ、頑丈なはずの格納容器にも損傷を及ぼさなかったかどうかも懸念される。
そんな水素爆発にしても炉心溶融にしても、放射性物質を飛散させ、復旧作業員ばかりか、冷却用海水の注入に当たった消防、自衛隊などの要員への被曝の恐れを生む。その結果、1号機の復旧を遅らせるだけでなく、2~4号機の安全確保作業も難しくすることになったとのである。
それだけに、どれほど遅くとも水素爆発が起きた時点ではただちに海水注入作業に着手すべきだったにもかかわらず、爆発の影響確認などに時間がかかったにしても、爆発から7時間弱もかかって海水を注入し始めたのは、あまりにも遅かったと言わざるを得ない。
その後の海水注入によって1~4号機の温度が下がったことが確認されたこと、その間に2~4号機で爆発や炉心溶融が広がったうえに、周辺住民の退避範囲が拡大され町ぐるみで避難しなければならない事態を招いたこと、放射能汚染が東北地方はもちろん関東、東海地方にまで広がっただけでなく、牛乳や葉物野菜の出荷、摂取制限にとどまらず、水道水にまで放射能汚染を及ぼす結果を生んだことなどを考えれば、東電の初期対応における判断ミスの重大性は明らかだろう。
■東電の懲りない利益優先主義
それほど重要な決断を遅らせた東電の対応は、同社の体質に根ざしていた措置と考えざるを得ない。前歴があったほか、東電自身も認めてきた欠陥だからである。前歴というのは、筆者が資源エネルギー庁の取材を担当し始めてから約4ヵ月後に起きた福島第二発電所3号機で起きた再循環ポンプ破損事故で遅かった運転停止措置である。
同庁がまとめた調査報告書によると、事故の兆候は90年1月1日夕方に発生した。冷却水の再循環流量が変動し始め、一時はおさまったが、間もなく「再循環ポンプ振動大」の警報が鳴った。しかし、東電はポンプの速度を下げただけで振動が警報設定値以下になったため運転を続けた。だが、その後も振動が安定しない状況が続き、6日未明に再び警報が鳴った。
それでも振動が大きい状態のまま運転を続行し、原子炉停止を決断したのは約6時間後だった。
チェックの結果、水中軸受けリングが脱落し破損するなど、東日本で使われている沸騰水型原発では当時最大規模の破損事故であったことが判明した。
そうした原発の運転停止が安全確保のために必要にもかかわらず遅らせるという対応の背景について、東電が自らえぐり出さざるを得ないことになったのは、驚くほど多数のデータ改ざんやトラブル情報隠しなどが発覚したことがきっかけだった。
最初は2002年だった。その2年前、福島第一原発1号機の定期検査に携わった米GE社の元従業員の内部告発を機に、圧力容器内の隔壁の亀裂など東電の福島と柏崎の3原発で計29件のデータやトラブルの隠蔽が明らかになった。その件についての社内調査を発表した際、当時の勝俣恒久副社長は「国に報告すると、原発の停止期間が長くなるという不安感が強かった」(02年9月18日付け読売新聞)と語った。
その5年後には3原発の13基について、定期検査の際に、延べ199件のデータ偽装が明らかになった。そのなかには、緊急炉心冷却装置の故障のような重大トラブルも含まれていた。
東電はその際も社内調査を実施し、詳細な報告書をまとめたが、「安全にかかる問題よりも電機の安定供給を優先した」との反省文も盛り込まれていた。「安定供給を優先」といえば聞こえはいいが、要するに勝俣氏がコメントしたのと同じく、トラブル対策のために原発を停止せざるを得なくなる事態を恐れたわけである。原発の出力にもよるが、運転を1日ストップすれば数千万円から億円単位の収入減になるといわれる事情が背景にあった。「安全よりも利益を」重視してきたのだ。
■役割果たさぬ保安院
東電職員の情報隠しの動機のひとつには「経産省への報告が面倒だったから」というものさえあった。この言葉を裏読みすれば「報告を怠っても大した面倒にはならない」とも解釈できる。つまり、原発の安全チェック役としての同省原子力安全・保安院が甘くみられてきたということである。
現に保安院は、元GE職員の内部告発を受けてから該当データ偽装について公表するまでに2年もかけるスローな対応ぶりで、同省事務次官からさえ「遅すぎた」と批判され、福島県の幹部からは「国も東電も同じ穴のムジナ」の声さえ出た。しかも、02年の19件のデータ隠しについて、保安院は「証拠不十分」「現時点で明確な法令違反があるわけではない」などを理由に、東電側に対する刑事告発はもちろん行政処分さえ見送った。
その後は、やや姿勢を改めたのかと思わせる対応が見られたこともあった。しかし、今回の大地震をきっかけとする事故での対応では、「やはり保安院の体質も根本的に変わってはいない」との印象を強める結果となった。
何より問題なのは、福島第一原発に保安院は現地事務所に原子力防災専門官を併任の原子力保安検査事務所長以下の原子力保安検査官8人を配置している。彼らは今回のようなケースでは最前線で東電の事故拡大防止対策をチェックし指導すべき立場にあり、適時に同省・エネ庁に情報を伝える役割も担っているはずだ。
ところが、1号機の水素爆発による大音響を聞いていたはずにもかかわらず、当時の状況ではベストな選択とみられる、海水のスピーディーな注入を東電に決断するよう迫らなかったことが疑われる。爆発から東電の海水注入着手までの時間差の大きさから、そう推察せざるを得ないのである。
他方、メディアが注目するようなトラブルで常に地元住民や自治体の不満をかきたててきたのは、事故発生時に情報の伝達が遅すぎるという点だった。そのような失態は今回も繰り返された。
1号機で爆発が起きた12日午後4時ごろ、福島県南相馬市の防災無線で「爆発したとの情報があります。屋外に出ないでください」との警告が流された瞬間、警戒に当たっていた消防団員が「すぐ逃げろ」と大声で叫びながら退避したという。
だが、爆発が起きたのはそれより20分以上前の午後3時36分だった。目に見えない放射能の害から身を守るためにも、自治体が住民を適時に退避させるにも、保安院は東電が迅速な情報開示を怠るようなら強く実行を促すべきであるし、保安院の現地事務所詰め保安検査官は現場の状況を把握しやすい立場だけに、保安院そのものも迅速に情報発信できるはずでもある。にもかかわらず、今回は、菅首相が「テレビで爆発が放送されているのに、官邸には1時間も連絡がなかった」と東電に怒りをぶつける一幕まであった。
保安院が事故発生時に速やかに情報を地元に伝達してこなかった点について、筆者は国民生活審議会が消費者庁創設議論を始めた際、総合企画部会に08年初めに提出した意見書で、産業振興諸官庁が消費者の安全保護を軽視している事例のひとつとして指摘していたが、今回も同様な怠慢が繰り返されたと受け止め、あきれるしかなかった。
大規模な原発群を抱える新潟県知事らが、経産省から独立した規制機関を求めるのは、保安院が属する経産省の体質に疑問を感じているからにほかならないだろう。筆者が最初にそれを実感したのは、前述の再循環ポンプ破損事故に関して行った資源エネルギー庁の調査だった。調査活動はエネ庁が組織していた原子力技術顧問会に属する学者ら専門家で構成した調査委員会が行った。
ところが、報告書を取りまとめたのはエネ庁だった。その結論は、調査委の主要な委員が「設計ミス」を認めたのに、報告書では「溶接ミス」としたのである。「設計ミス」となれば、設計を審査したエネ庁の責任問題に発展するが、「溶接ミス」なら施工者のミスで片付けられる……そんな思惑を濃厚に印象付けた結論で、はっきり不快感を示した主要委員もいたのであった。
監督責任問題以上に、経産省・エネ庁が原発事故やトラブルにあいまいな対応を行ってきた事情としては、経産省がエネルギー政策で原発を推進してきたことで得るメリットがあると考えられる。国策としての原発増設推進であれば、それをバックアップするための巨額な予算を獲得しやすいという点だ。電力会社にしても、経産省から巨額な支援を得られる。
持ちつ持たれつの関係を続ける担保のひとつになっているのが、今年1月、エネ庁長官が東電顧問に就任したような経産省高級官僚の天下りといえる。それだけに、保安院が電力会社に対して安全対策を厳しく要求することは困難であり、保安院の経産省からの分離論には正当性がある。
少なくとも、原発事故の調査機能は経産省から分離し、首相直属機関として組織変更したうえでの保安院的組織に担わせるか、現在、消費者庁の「事故調査の在り方に関する検討会」が煮詰めつつある、消費者目線で調査にあたる新たな事故調査機関に委ねるべきである。
■メディアの役割
電力会社と監督官庁・機関がそのような関係にある以上、メディアが厳格に監視し、批判すべき点は遠慮なく批判していくことが求められる。
東電は今回、原発運転失格者といわざるを得ない面を様々な局面で見せた。たとえば、状況解釈についての報道陣の質問に、沈黙したりマイクを譲り合ったりした。そのことは、様々な危機的状況を予測して対策を立案しておくリスクアセスメントが不十分だったことを推察させた。トラブルを続発させた原発の継続的な安定化に欠かせない外部電源の確保に着手したのが地震発生から6日後の17日だったというのも、リスクアセスの欠如ぶりを浮き彫りにした。
また、15日に4号機で火災が起きた後の午前11時過ぎ、枝野官房長官が会見で「午前10時22分に毎時400㍉・シーベルト(の放射線量)が出た。身体に影響があることは間違いない」とコメントしたことについて、現地の東電担当者は「確認していない」と述べたというが、東電のイメージダウンにつながりそうな情報を示さなかった例は、そのほかにも報道されている。
さらに、計画停電を実施した初日の14日夜、茨城、千葉両県の被災地域まで停電範囲に含め、被災者の怒りを買った。その無神経ぶりは、安全確保に対する責任意識の薄弱さと裏腹とみるべきだろう。
責任意識の薄弱さの裏にあるのは、民間企業でありながら半官半民的性格を、東電を筆頭とする大手の電力会社が帯びている事情がある。電力の安定供給を義務付けられている反面、地域独占供給とともに、原価コストが上がれば電気料金への上乗せを認めてもらえる企業なのだ。
そのため、癒着関係にあるはずの経産省幹部さえ「電力会社の役員は経営者ではない」と吐き捨てるように言ったことを覚えている。特別な努力など必要でない経営が、電力事業の規制緩和が遅々として進まないなかで続けられてきたのであり、そんな状態からは責任意識など高まるはずがない。
そのような東電と、その体質を改めさせられない経産省が推進しようとしてきた原発増設政策について、今回の事故の責任追及とともにメディアは見直しを強く求める必要がある。
筆者は、某新聞社の元科学部長から「原発には放射性廃棄物の処理という未解決なアキレス腱があるが、記者も専門家も分かっていながら声にだそうとしない」と打ち明けられたことがある。
今回の事故を機に、原発の増設を受け入れる国民、地域は皆無に近くなるに違いないが、それでも、経産省や電力業界は、各々の利益に深く関わる原発の増設推進を全く断念するようなことはないだろう。御用学者もその理論的根拠を提供し続けようとするに違いない。
これに対し、メディアは今後の原発安全対策の保障として、まずは保安院の経産省からの切り離しを強くアピールする必要がある。さらに、原発に重点を置いて展開されてきたエネルギー政策を、温暖化対策を視野に入れたクリーンエネルギー推進を主張していくべきである。電力会社の経営陣に安全確保や真剣な経営努力を迫る大きな力となり得るのは、電力会社の独占的地位に風穴をあけるライバルとしての分散型電源のクリーンエネルギーだからだ。
「CO2を発生させない原発は温暖化防止にも有益」などという主張を、経産省や電力業界、御用学者らから、電力会社系労組の支援をも受けている民主党まで繰り広げてきた。しかし、放射性廃棄物の処理に万年単位の管理が必要となる原発は、仮に地下埋設場を確保できたとしても、大規模な地殻変動で管理困難となる恐れを完全には否定できない。「想定外」と表現せざるを得なかった今回の大地震・大津波は、そうした危険性が地球に存在することを教えてくれたと考えるべきだ。
かつては確かに、大規模な電力需要への対応を、自然エネルギーを中心とするクリーンエネルギーに期待することは難しかった。しかし、携帯電話用電池のような小規模な発電から工場規模に対応できるような中規模発電までこなせるパワーを持つ燃料電池は、宇宙船でも使われてきたように実用技術の壁はクリアされているほか、発電効率や耐久性も向上しつつあり、原発の代替エネルギーとしての地位を、まず家庭利用型から占め始めてきているのである。「原発なくしては経済活動に必要な電力確保は難しい」とする根拠は加速度的に薄まりつつあるのだ。
かつて筆者は、古巣の新聞社の解説部に在籍していた当時、広告局のある部長から「君は電力業界と自動車業界からいちばん警戒されている」と警告されたことがある。安全と環境エネルギーという共通する課題を抱えた両業界に対し、辛口の注文を付ける記事を書いてきたことについて、業界人が苦情を告げたのだろうと察した。ただ、警告してくれた部長とは親しい間柄だっただけに、警告は筆者への牽制ではなく、「記者をクビにならないよう注意したほうがよい」と忠告してくれたものと受け止めた。無論、それを機に報道姿勢を変えるようなことはしなかった。
それにしても、東電と経産省・保安院の不手際が日本ばかりか北半球の諸国民に甚大な脅威を及ぼすに至った今となっては、もっと厳しい記事を書いておくべきだったと痛感している。現在の困難打開に力を発揮し得る現役記者への期待をこめて、そんな出来事をあえて紹介することにした。
鶴岡憲一氏は元読売新聞社会部記者、編集委員。著書に『悲劇の真相― 日航ジャンボ機事故調査の677日』がある。
記事中の「海水注水のタイミング」については、事故直後に注入を決断していたのだが、技術的問題で遅れたという当事者の証言があります。
「対処能力超えた」原子力安全委員長、反省の弁
読売新聞3月24日 06:33「炉心への海水注入は、津波による被害の判明直後に決断したが、圧力を抜く弁の開閉にも、電源が必要だったことなど、「予想外の障害が重なり、注入までに数時間を要してしまったことも悔やまれる」としている。