中国人強制連行(1)

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中国人強制連行は国策として行われた。企業が勝手にしたことではない。だが、日本政府は、そんなことしていないとか、資料がないのでよくわからないといってきた。それが一貫した公式見解だった。

昭和30年代の国会答弁はそうだった。一例だけ挙げる。

昭和35年。
外務次官・井関祐二郎の答弁

昭和21年3月に、外務省管理局においてそういう調書の作成をいたしたそうでございますが、そういう調書がございますと、戦犯問題の資料に使われて、非常に多数の人に迷惑をかけるのではないかということで、全部焼失いたしたそうでありまして、現在外務省としては、そうした資料を一部ももっておらない次第でございます。

戦犯訴追を恐れて焼いてしまったというのだから、かなり後ろ暗い資料だったのだろうと想像できても、モノがないというので、この当時はそれ以上調べようがなかったのだ。

ところが平成5年になって焼かれたはずの資料が一部見つかった。外務省職員が資料損失を憂いて外部に持ち出して保管していたのだ。これが本物の公文書であることを外務省が確認した。現在は外務省が保管して公開している。

補償請求の裁判はこういう公文書などの資料にもとづいて起こされている。原告の一方的な証言だけしかないというのは誤りだ。機会があれば、公文書や日本の会社資料の内容を紹介したい。

それにしても、補償請求できていた頃には「証拠がどこにある?」と開き直って受け付けない。証拠が出てくると、「今ごろ言ってきても手遅れ」と、やはり門前払い。それが法律だとはいうものの、釈然としない。

最高裁判決は、この釈然としない点をも汲みあげた、人間の温かみが感じとれるものだった。
会社の解釈はやはり冷血なものだと思う。