朝鮮名の女の子の話-創氏改名に寄せて

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5月2日に「平和のための戦争展」をやります。そこで展示するため、戦時中の資料をたくさん貸してもらいました。その中に姫路市内の国民学校の内部資料があります。見ていくと、卒業生の進路を一覧表にしたものがありました。昭和19年の資料です。

クラスのほとんどが高等小学校に進むか、就職します。その中で一人だけが、「家事手伝い」とありました。進学もできないし、就職もできなかったのでしょう。それはクラスでただ一人の朝鮮名の生徒でした。朝鮮名の下にカッコ付きで日本名が記してあります。天皇の赤子として平等に苦労せよと教えつつ、けれども内部資料にはちゃんと朝鮮人だと分かるように書かれていました。

昭和19年といえば、もちろん創氏改名が実施された後です。朝鮮名は、創氏改名を受諾しない誇り高き朝鮮人家庭の「抵抗の証」でしょうか(*末尾注)。それとも、創氏改名にもかかわらず本音の部分ではそれを受け入れなかった日本側の「差別の徴表」なのでしょうか。いまとなっては、そこは明らかではありません。が、ただ一人、進学も就職もできなかった女の子がどんな屈辱感を抱いて成長したのだろうかと、しばらくその資料を前にたたずんでしまいました。

当時は「一視同仁」とか言われていました。「向こうがそれを望んだから日本名にしてあげた」などと馬鹿馬鹿しいことを言う政治家がいまもおり、官邸に住んでます。しかし実際には、当時の日本人は朝鮮人を二等国民として蔑んでいました。いまもそうです。差別している奴ほど、その差別を否定します。

資料は5月2日、正午から姫路市文化センター大ホールのロビーで公開します。「憲法を守るはりま集会」の一環です。お近くの人はどうぞお越し下さい。他には戦死者の遺品や軍装品、軍票、戦時中のポスターなどを多数展示します。

*注:
『近代庶民生活誌 (4)流言』(三一書房)には「鄭和欽コト日高輝男」などと朝鮮名の人物が数名載っています。「日高輝男コト鄭和欽」ではありません。逆です。本名が日本名なのに、通名として(元の)朝鮮名を使い続けた人があったのです。
他には元「李」さんが、「李」を「新たに創った氏」として戸籍に載せた例もあります。呼び名は同じですが、日本式の「氏」と朝鮮式の「本貫」に基づいた朝鮮式の「姓」は、意味合いが全然違います。
資料にある女の子の場合、朝鮮名と日本名のどちらが通名なのか、はっきりしません。