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○○さん
35年にわたる植民地統治を短く的確に要約するのは誰にとっても難しいことなので、私が書いたことがすべてではありません。が、少なくとも日本の統治が正しかったとか、韓国民のためになったとか言い切る論理がきわめて一方的で極論であることはご理解いただけたかと思います。
他にも法的な側面とか、徴用の実態とか、語らねばならないことは限りなくあります。どうかそのような書籍を読んで、正確なことを知る労力を傾けて頂きたいと思います。
過去を振り返るのはそれを断罪することが目的ではありません。断罪しても、いまさら過去が変わるわけではありませんから。過去から学ばなければならない理由は、失敗を繰り返さないためです。誰でもそうですが、失敗した自分の行いを振り返って、「あれはこんな理由があったから仕方ないんだ」とか「他の奴よりましだったよな」などと言い訳に終わっては、振り返る意味がありません。自分の過ちや愚かさを見つめるのは痛いから誰だっていやですけど、そのようにした者だけが失敗を繰り返すことから免れるのだと思います。
私たちの知っている歴史が、「勝利した者の作った歴史」であることには同意していただけると思います。それは何も東京裁判史観だけのことではありません。明治以来の我が国にはいくつもの転機がありました。その転機で打つ手打つ手をを少しずつ誤り、誤った選択の結果が蓄積し、大日本帝国は滅亡したのです。
歴史にif(もしも)は禁物と言いますが、実現されなかった日本の歴史を考えてみるのはちょっと面白いですよ。
もしも龍馬が暗殺されていなければ、戊辰戦争が防げたかも知れない。すると長州の出番がなくなったはずだから、維新政府にあれほど薩長閥がはびこることはなかったでしょう。大村益次郎や山県有朋のような怪物が出てくる余地がなかったかも知れない。
奥羽列藩同盟に参画した藩が弾圧されていなければ、維新政府にはもっと人材がいたはずです。そうなっていれば横井小南は暗殺されなくてもよかったはずです。横井がいれば、勝海舟が厭世的にならずに維新政府に入閣していたかも知れない。そうなっていれば西郷は下野していなかっただろうし、当然死ななくてもよかっただろうし、木戸・伊藤博文はもっとおとなしかったろう。
陸奥宗光が山県の使い走りなどに落ちぶれなかったら、横井や龍馬や西郷の下でもっと存分に能力を発揮したかも知れない。すると明治天皇の意志に背いてまで起こされた日清戦争はなかったかも知れない。日露戦争は日韓同盟対ロシアの戦いになったかも知れない。
日本の侵略さえなければ日中韓の三国協商が実現していた可能性があるし、そうなっていれば日独伊三国同盟など無用で、第二次世界大戦は東洋に飛び火せず、太平洋戦争もなく、東アジアは繁栄し、今頃はECのような共同体が建設されていたかも知れない……。
その歴史は結果として実現されなかったんですが、維新の志士たちが思い描いた東亜繁栄の夢の実現に向けていまから努力することは可能です。これから作る歴史が前の繰り返しではいけないんですから、そのために失敗の原因を探るべく、自分にとって都合の悪いことから目をそらさないで学ぶ。
薩長閥がつくった歴史から消されていった偉人たちの業績を学べば、人権思想や民主主義思想、平和主義が、けっして米国からの借り物ではないことに気付くでしょう。そうすれば、白を黒だと言いくるめなくても、この国に誇りを持つことができると思うんですよ。
長くなりましたが、これが私からあなたへのお返事です。