アラブと西欧の対立 根本原因は何か?

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前の日記、「テロとの戦争がトルコに拡大」

イラクとの国境の山岳に向かうトルコ軍の車列が、待ち伏せしていたクルド人ゲリラに攻撃され、トルコ軍兵士8人が捕虜にされた。怒り狂ったトルコ政府は軍に進撃を命じたもようです。 Turkish Troops, Weapons Head Toward Ira...

へのコメントで、shuさんがとても難しい質問を下さいました。

中東に西欧がはいってくるのは、資源の安全確保が主目的だとおもいますが、中東内での紛争は、宗教(民族)対立が根本原因でしょうか?他になにかあるのですか?

うわー、これはむずかしい。いや、むずかしい。これをテーマに何冊も本が書けそうだ。でも、ここはミクシィの日記だし、書いたものにさほど責任も問われないし(笑)、日頃思っていることを書いてみようかな。

ということで。中東イスラム圏の出来事を、私が正確に解説できるはずもないことを前提に、自分の見方を書いてみたいと思います。

対立の原因が宗教なのか別の原因なのかとのご質問ですが、その両方の側面を持つのではないでしょうか。客観的にはやはり石油をはじめとする資源の問題。しかし戦っている戦士たちを支えるのは、宗教的情熱だと思います。

まず石油のことから考えてみます。米国はかつて石油輸出国でした。いまも世界第2の原油生産国です。しかし同時に、世界1の原油輸入国で、その量は輸入量第2位の日本の倍以上です。それほどの石油消費国であり、しかも過去に自国生産の安い石油をジャブジャブ使っていた頃のスタイルがいまだに改まりません。米国経済を支えているのが諸外国に較べてけた外れに安いガソリン価格であることは、よく指摘されることです。およそ日本の3分の1です。原油価格が米国経済に与える影響は日本の比ではありません。

過去30年間、米国の経済成長は4~6%を上下していますが、深刻な経済リセッションが74年、80、82年、91年、01年に起きています。いずれも原油価格が大幅上昇した翌年です。今後米国の石油生産が枯渇に向かうであろう事は誰も否定しません。原油の安定供給は、単に石油業界だけの利害ではなく、米国の枢要な国家戦略に位置づけられているはずです。

ところで世界の原油埋蔵量ですが、埋蔵量の多い順に国名をいえば、サウジ、イラク、UAE、クウェート、イランです。この5カ国だけで世界の埋蔵量の6割を占めています。これらの国々でかつて何が起きて、いまなにが起きており、これからどんなことを起こすと米国が宣言しているかを見れば、米国がなにを目論んでいるかがわかるような気がしませんか?

ちなみにイラク攻撃は9.11テロとは何の関係もありませんでした。よく言われる親父のやり残したことをやり遂げたかったというのも、一国の決断としては軽きに過ぎます。

あまり報道されませんが、じつはイラク攻撃の前にフセインが原油の決済通貨をドルからユーロに切り替えると宣言していたのだそうです。イラクと取引をしようとすれば、ユーロが必要なのです。世界の原油の1割をもつ国がユーロに切り替えれば、世界の原油取引市場がガラリと様変わりしてしまいます。米国の失う信用と取引利益がいかばかりか、また将来の安定的原油供給に及ぼす影響がどれほどのものなのか、それを考えると、フセインを生かしていてはいけないという米国の決断の大きな理由がここにあったように思います。

つぎに宗教ですが、イスラムが宗教的に団結してなどいないことは、何かあればすぐにスンニ派とシーア派で殺し合いが起き、またスンニ派内部でも数々の内ゲバが起きている事実をみるだけで充分でしょう。

クルド人とトルコ人はどちらもムスリムですね。要は、何らかの事情で敵対を激烈にする必要が生まれたとき、ある時は民族意識、ある時は宗教、あるときはイデオロギーが道具にされるのであって、その逆ではないということです。敵対を激烈にしたいと望むのは戦う庶民ではなく、庶民を操る特権階級です。その動機は彼ら自身の利害です。こう考えても大きな誤りはないと思います。

さてそれにしてもアラブ圏の西洋に対する敵愾心、不信感は私たちの想像を絶するものがあります。その一因に十字軍があることはたしかです。ブッシュが多国籍軍のことを語った際にうっかり(か本気かはわかりませんが)「十字軍」と言ってしまったためにアラブ諸国の猛反発を買い、結果としてイラク戦争にアラブ諸国の支持を取り付けるのに失敗した記憶は新しいですね。

では十字軍とは何だったのか。『アラブが見た十字軍』という本にそれが詳しく書かれてあるので、一読をおすすめします。

アミン・マアルーフ著『アラブが見た十字軍』牟田口義郎訳
1986、リブロポート

つまりは侵略。それも徹底的に道理のない、残虐で無慈悲な、200年にもわたるしつような、〈人食い人種〉による侵略でした。当時のヨーロッパは人口だけが多い未開の野蛮な地域で、アラブはすぐれた学問と科学技術と洗練された政治システムをもつ文明世界でした。そこに押し寄せたヨーロッパ人(アラブ側は彼らをフランクと呼んでいます)たちがアラブ人にどんな仕打ちを働いたのか。この本はヨーロッパ側に残された、ヨーロッパ人自身が書いた当時の資料を渉猟して、ヨーロッパ人が忘れてしまった彼らの歴史をこれでもかというくらいに白日の下にさらします。

〈マアッラでわれらが同志たちはおとなの異教徒を鍋に入れて煮た上に、子どもたちを串刺しにしてむさぼり食らった。〉これはフランクの年代記作者であるカーン(北フランス)のラウールのもの。

フランクの年代記作者、エクスのアルベールの次の一文は、彼自身マアッラの戦いに参加しているから、残忍さを伝えて比類がない。〈わが軍は殺したトルコ人やサラセン人ばかりでなく、犬を食べることもはばからなかった〉。

ヨーロッパ人たちはアラブ人を殺し尽くし、街々を破壊し尽くしただけではありません。その富を奪い、学問成果をかっさらい、技術者を連れ去りました。そんなことが200年も続いたのです。そうすることが神の意志であり、それができるのは自分たちが正義で優秀な人種であるからであり、奪い取った様々のものはあたかも元から自分たちのものであったかのように歴史を偽り描きました。

アラブの民衆はこの歴史を語り継いで倦むことがありません。戦いの原因は宗教ではありません。しかし戦う情熱を支えるのは、キリスト教に対する憎しみであるのは事実だと思うゆえんです。

日本は、ということで思うのですが。

西欧のいう信教の自由とは、実際にはキリスト教内各派の信仰の相互不干渉と布教の自由と平等という意味でしたよね。それはキリスト教が土着の宗教を根絶やしにしたあとに訪れたものでした。しかし一度信教の自由という思想が生み出されたあとは、その対象がキリスト教にとどまることなく、論理的に宗教一般に適用せざるを得ませんでした。

いま起きている宗教対立とは、宗派を超えた異宗教の信仰の自由という西欧自身が生み出した普遍的真理と、キリスト教に覆われた歴史的環境との不一致ないしはあつれきという特殊歴史的段階の現象でしょう。

仏教の場合、仏教内部での信教の自由なら、はるか紀元前にすでに達成されていました。その後の歴史は仏教と他宗教の共存に向けての模索だったと思います。宗教的不寛容を克服する経験を、西洋よりもはるかに長く積んできたのがアジアの宗教世界でした。いま起きているアラブ世界と西欧の宗教的不寛容を克服できるのは、アジア的思惟様式ではなかろうか。ふとそう思うことがあります。