ちょっと時期遅れだけど田母神のアホについて

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馬鹿が身の程知らずにはしゃぐ姿を見るのはつらい。ちょっとタイミングがずれましたが、祈りの日が終わったので、もう書いてもいいでしょう。8月6日に広島市で開催した、田母神の講演会のことです。

田母神は講演会でこう述べたといいます。

核廃絶はできない。夢物語に過ぎない。
日本も世界で生きるためには核武装を追求すべきだ

ほほう。
主催者は事前の新聞意見広告でこう書いています。

このたびの講演会は、真の平和構築の道を考えるものであり、
平和を希求する広島の精神に合致しています。

「核廃絶はできない。夢物語に過ぎない」
「日本も世界で生きるためには核武装を追求すべきだ」

こういう意見が広島の精神に合致しているという論理は、さすがです。「アジアが解放されたのは、コミンテルンの陰謀に乗せられた日本が、やりたくもない戦争をさせられた結果なのだから、日本人はそれを誇るべきだし、アジア諸国は日本に感謝すべきだ」という、支離滅裂な主張を褒め称えることのできる人たちにだけしか分からない論理です。

しかも、「核廃絶はできない。夢物語に過ぎない」「日本も世界で生きるためには核武装を追求すべきだ」という意見について、こんな自画自賛をしているのです。

被爆者の方々にこそご理解いただけるものと信じます。

頭が痛くなるな。豆腐の角で頭打って死んでこい。

核兵器廃絶こそ、被爆者が心から願い、訴え続けていることではないですか。その願いは「夢物語にすぎない」という意見が、「被爆者の方々にこそご理解いただける」と信じる神経というのは、果たしてまともな思考力を持つ人間のものだろうか。

彼らはこともあろうに8月6日に広島市で講演会を開く意味を、こう語っています。

昨年も一昨年も8月6日の「広島平和宣言」では、北朝鮮の核問題には一言も触れていません。長崎の平和宣言においては北朝鮮の核について明確に触れているが、「ヒロシマ」ではそれがすっぽりと抜け落ちていたのです。ここに、私たちは大きな不安と疑念を抱かざるをえませんでした。それが「ヒロシマの平和を疑う」というテーマを掲げた理由です。

これがどうして核武装講演会を開催するのに「原爆記念日」をわざわざ選んだ理由になるのでしょうか。その日ならいかにも挑発的で、抗議を招き、ニュースになるという薄汚い計算、それが本当の理由なのは、手に取るように分かります。こんな策略のためになら被爆者の神経を逆撫でしても構わない、こういう神経の持ち主が、核武装を唱えている。背筋が寒くなるような話です。

この人たちは、広島市が朝鮮の核実験に抗議していないとでも思っているのだろうか。日本の近隣国としては、これまで中国やロシア、米国が核実験を繰り返してきたけれども、そのたびごとに広島市や長崎市は平和宣言でいちいち国名を挙げて追及してきたのでしょうか。

被爆者が抗議するのならば、自分たちに核攻撃を仕掛けておきながら、いまもまだそのことを反省しないで先制核戦略を放棄しない米国にこそ、まずその矛先が向けられて然るべきでしょう。田母神たちは被爆者がどうしてそうしないのか、考えたことがないのでしょうか。原爆を投下した米国への怒りを抑え、謝罪を求めることなく、怨みや復讐心を捨てて、世界的な核兵器の廃絶の訴えに昇華している理由を考えたことがないのでしょうか。

怒りや報復や抗議は新たな怒りや反発や対立を招く。そういった反応を呼び起こす運動はけっして核兵器の廃絶につながらない。そこで、怒りを呑み込み、怨みを世界平和への祈りに変えて、核兵器廃絶に向けた包括的・客観的な訴えを続けている。

このような精神の高みに悪罵を投げかけ、昔ながらの冷戦的対抗戦略を訴える馬鹿さ加減には、もはやつける薬が見あたりません。

北朝鮮の弾道ミサイル発射や核実験の強行という事態に対し、広島市民として再び核兵器の犠牲とならないために何をなすべきかを考えることは決して8月6日の平和の祈りに反するものではないと考えます。

もう、こんなのと同じ日本人であることがたまらなく恥ずかしい。穴があったら入りたいぐらいです。こんな見当違いの意見広告を出せる神経、いっぺん引っ張り出して洗濯機で回してもらったらどうでしょうか。

広島の平和は、ひとり広島市や日本の平和を意味していません。三度世界に核戦争の被害者を出さないようにしようというのが、その平和アピールの主旨です。日本の運動であるけれども、世界的普遍性を持っている意味がそこにあります。

田母神たちは、再び核兵器の犠牲とならないためにすべきことが核武装であると、原水爆禁止世界大会で訴えろとでもいうのでしょうか。

田母神の意見は日本中心の独善的・自閉的・自足的で漫画的な意見にすぎず、小児的攻撃性がむき出しになった取るに足りない愚論ではあるけれど、こういうのを支持する意見が少なくない現状があります。

民主党も「核抑止論」に対抗する有効な論理を持っていないように見えます。危ないなあ。