豊島事件と震災ガレキ問題の類似

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■豊島事件とは

豊島事件とは、瀬戸内の観光名所豊島(てしま)で犯された大規模な産廃不法投棄事件だ。

県の全面的なバックアップを得て、姫路の産廃業者が産業廃棄物の不法投棄を行った。最盛期には関西圏の廃車ゴミの3分の2が豊島に搬入されていたそうだ。兵庫県警が摘発するまでの約12年間で、不法埋め立て量は、許可量の100年分に達していた。

有害なダイオキシンやベンゼンが大量に含まれた真っ黒の汚水が周辺海域を汚染していることが分かってから、ようやく摘発された。それをやった豊島総合観光開発㈱は事件が明るみになるとさっさと破産して、あとはほったらかしだ。

■行政の責任

1975年(昭和50年)、豊島総合観光開発(株)が有害産業廃棄物の処理場を豊島に建設する計画を明らかにすると、住民は島ぐるみの反対運動を起こした。豊島の有権者のほとんど全員が反対に回った。

ところが前川香川県知事は、説明会会場で住民に向かって、「やみくもに反対をするのは地域エゴ、住民のエゴである」「豊島は、海は青く空気はきれいだが住民の心は灰色だ」と言ってのけた。

当時は、まさか現在のような状況になりうるとは夢にも思わなかっただろうが、ゴミ捨て場がたりないという現実に引きずられて、結果的に重大な災厄をもたらす決定を下した知事の責任は大きい。

事件が表沙汰になると、県がやったことは、まずデータ隠し。ついで、責任は業者にあると言って、現状回復を免れようとした。全国どこででも見られる、いつもの組織防衛だ。

■弱者に押し付けられる産業廃棄物

一般廃棄物処理の場合、地元処理が原則だ。しかし産業廃棄物はどこで処理してもよい。地域が決められていない。そこで産廃処理場のほとんどは過疎化の進んだ農山村に押し付けられている。

つまり都市地域は生産と消費のメリットだけを享受し、過疎地域の弱者が廃棄物汚染の被害を被るという社会構造が成り立っている。豊島の場合も、反対運動をする住民に対して、県知事が筆頭となって「建設反対は地域エゴだ」と圧力を加えた。

過疎地域での処理場反対意見は地域エゴと言えるだろうか。自分の出した廃棄物を地方に押し付け、一方的に利益のみを得ようとする都市の方が地域エゴと言えるのではないだろうか。

■市場原理の限界

豊島事件の場合、豊島総合観光開発(株)は1トンあたり1,700円という格安な値段で廃棄物処理を行った。関西の産廃業者に大人気だったそうだ。不法投棄で業者が手にした利益は数十億円。笑いが止まらなかっただろう。

だがその野放図な行為のせいで、いま香川県は毎年50億円もかけてゴミの再処理を続けている。12年間続いた不法投棄で山積みとなったゴミを全部処分するのに20年の歳月と200億円の税金がかかる。こんなバカな話があるものだろうか。

しかし、実際に儲かるのだから不法投棄商売は後を絶たない。安い料金で処理を引き受けて、不法投棄を行っている事業者は生き残る。潤沢な資金で議員を買収して、摘発を免れることもできる。合法的な処理を行っている事業者は料金が高いために淘汰される。まったく不条理な話だ。

■原発事故との類似

後先考えない無責任な業者、それと癒着して後押しする政治家と行政、間を取り持つ利権構造、厄介者を過疎地に押し付ける政治と、それを支持する多数派有権者。

この構造は、原発と同じではなかろうか。規模や態様は違っても、よく似たメカニズムが働いている。日本社会の抱えている病的な体質が、そこにかいま見える。