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在特会兵庫県支部が「パチンコ反対デモ」をするというので、三宮にカウンターに行ってきた。パチンコ反対は世をしのぶ仮の姿、実はヘイトスピーチ満載の恥ずかしいデモだ。
カウンター部隊の待ち合わせ場所には、すでに10人ほどのうっとうしい男どもがいた。まあ自分も見た目だけはかなりいかついが。おとなしい(はずの)プラカ隊は集合時間が違う。しばき隊は最終的に29名となって、会場の市役所前公園に移動した。
公園にはまだ誰も来ていなくて、公安がたむろしていた。しばらくすると、三々五々集まる差別者ども。しばき隊メンバーがもう突っかかってる。
「こら、おのれいっつもチョンチョンコぬかしやがってワレ、こっち来んかい!」
公安や警官隊がわらわらと寄って分け、人垣をつくる。こんなことで逮捕でもされたら元も子もないので、「こんなどチンピラ相手にするな」と我々も押しとどめる。
実はこれはミエミエの挑発で、あわよくば相手が激昂してつかみかかってくれればデモを中止にできるという……まあいかにあほぞろいの在特会でも、こんな挑発には乗りません。
はじめに書いたとおりこの日はパチンコ反対デモだったんですが、横断幕はつぎのとおり。
- 「入管特例法」の廃止を訴えています!
- 在日韓国人は犯罪での強制退去がない!?
- 年間逮捕者はなんと5000人!
- 今日も明日も何処かで朝鮮人の犯罪が…
パチンコのパの字もない。ヘイトをやりたいだけ。休日に、遊びで差別をしやがるくそレイシストども。
映像を撮影していた「ゆー」くんを横断幕の所に呼んで、尋ねてみた。
「在日韓国人は犯罪での強制退去がない!?」←これを指して
「これ、何? クエスチョンマークは何の意味や」
「在日韓国人は犯罪での強制退去がないからでしょ」
「ないならなんでクエスチョンマークやねん」
「たしか2~3人は送還されてたんちがうかなあ」
「うそ言うな。2~3人ですむか。韓国人かて犯罪犯したら強制送還されてるがな」
「ぼく、主催者ちゃいますしわかりません」
「それなら主催者呼んで来いや」
「知りませんよ~」
などと言い合っていたら、警察に分けられてしまった。
在日韓国人は犯罪での強制退去がないなんてことはない。それを百も承知の上で「?」をつけることでごまかしている。まったくどこまでいやらしい奴らや。
川東が「チョンコウは先公とかポリ公と同じ意味、どこが差別やねん」。いつもの減らず口にしばき隊が猛烈抗議して、騒然となる。
おい川東。先公もポリ公も、相手の職業を侮蔑する表現だ。それが許されるとでも思っているのか。まともな市民なら面と向かってそんな礼儀知らずなことは言わない。お前のように人格低劣なクズだけが、平気で言うのだ。
ただし、教師も警察官もどちらも本人がその職業を選択したのだ。朝鮮人は選択ではなく、生まれながらの属性だ。本人にどうすることもできない属性を侮蔑するのは、その人の人格そのものを否定しているのだ。だから民族差別は許しがたいのだ。
主催者代表の竹原くんが「あまりにひどい言動は慎んでください」とデモ隊に事前注意している。おお、これまで「あまりにひどい言動」がなされてきたことを自覚しているではないか。
いままで好き放題わめいていたのに、どうして「あまりにひどい言動は慎んでください」になったのか。むろん、カウンターのせいである。差別的言辞を叫ぼうものなら、本当に混乱してデモが中止になるかも知れない。これはしばき隊の嫌がらせの効果なのだ。厳しい監視の目があるから、うわべだけでもまっとうな市民を装うしかなくなった。本当の真人間になるにはヘイトデモをやめることだがな。
デモが始まった。
在特会が30人に対して、こちらはあとから合流したプラカ隊を合わせて70名ほど。デモ隊はスピーカーを使えるが、平行して歩道を行く我々はスピーカーが許されない。しかし人数が多いので、デモ隊のシュプレヒコールを完全に圧倒していた。
やつらのヘイトスピーチをかき消してコールが轟く。
「帰れ、帰れ」
「差別をやめろ、差別をやめろ」
騒然とした雰囲気に、町を行く人が何事かと注目している。
「あのデモはパチンコ反対を口実にして、韓国人や朝鮮人を差別しろとゆーてる犯罪デモです」
そう語りかけながらフライヤーを手渡していくと、断る人はほとんどいない。
「僕たちは差別に反対してデモに抗議しています」
説明に、共感してうなづく人ばかりだ。
彼らに同調する人など誰一人いない。
結局バカをさらして歩いただけのレイシストたち、お粗末さんとしかいいようがないデモだった。やつらはこれからもお粗末デモを繰り返すつもりだそうだ。こんなデモも、放置していたらアホが寄ってこないとも限らない。一定規模のデモになると、それはちとやっかいだ。
しかしニコ動を見たら、へたれは近づけないのではあるまいか。近づいてきたらただではすまんぞという威嚇は、これからも必要だろう。これからもなるべく参加しようと思った。