八重山の教科書問題と、カエサルと、織田信長の話11/11

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■カエサルのルビコン川と信長の桶狭間

物事を決断するときに、後戻りできないという意味で「ルビコン川を渡った」という定型詞が使われることがある。ユリウス・カエサルがローマを制圧するためにルビコン川を渡った故事からきた言葉だ。

遠征軍を率いて連戦連勝、豊かなガリアを平定したカエサルは、ローマの元老院にとって危険な存在となった。元老院は、カエサル派の元老を追放した上で、カエサルに本国召還を命じる。この命令は、力を付けすぎたカエサルに難癖を付けて、失脚させるためだと容易に推測できた。ローマに戻れば、幽閉されるか、暗殺されるか。

座して死を待ちたくなければ、屈辱を飲んで生き残るか、生き残るための戦いに打って出るかしかない。ガリアから戻り、当時軍団を入れてはならないラインとされていたルビコン川に至ったカエサルは、そのまま軍団を率いて川を渡った。

この行動は、圧倒的な権威を持ったローマに対する反逆と、強大な全ローマ軍団との死闘の開始を意味した。

あとは、やるか、やられるかである。必ず勝てる保証などなかったが、もう妥協は許されない。この時にカエサルが語ったのが、「サイは投げられた」というセリフである。

この乾坤一擲の決断が、彼をやがてローマの支配者という絶頂に導くことになったという意味では、織田信長の桶狭間の戦いに似ているかも知れない。紀元前49年1月10日のことだった。

■カエサルのブルータスは信長の明智光秀 「出る杭は打たれる」

しかしこの決断は、反作用をも産み出した。やがてカエサルに対する反乱を誘発し、クレオパトラが統治していたプトレマイオス王朝の滅亡を経て、カエサル暗殺という歴史ドラマにつながる。

カエサルの暗殺は、保守派が一人の偉大な天才の台頭に脅えたからだった。信頼していたブルータスたちに刺し殺されたカエサルの最期は、まるで織田信長の本能寺の変みたいなものだ。「出る杭は打たれる」は日本だけのことではないのだ。

■八重山教科書問題

井沢元彦は『逆説の日本史』で、「信長暗殺は、出る杭は打たれるという日本独特の横並び思考様式のせいだ」と力説している。ここから彼独特の日本文化批判、日本国憲法批判につながることになっている。

しかしカエサル暗殺を初めとして、似たような例は世界史上に珍しくない。小説家としての彼が面白いものを書くためにどんな歴史解釈をしようと自由である。しかし比較対象を欠いたまま展開される「日本は独特」という文明観は、歴史論としては有り体に言ってまるっきり見当はずれである。

ところで憲法第9条を文明論的に否定すると公言している井沢は、「新しい教科書をつくる会」のメンバーであり、ひょっとすると教科書づくりに手を染めているかも知れない。こんなスカタンな歴史観が教科書に反映しているとすると、かなり問題だと思う。こんなもので教育されたのでは、迷惑するのは子ども達である。

このあたり、八重山のエライさんたちがどう思うのか、尋ねてみたいものだなあと思ったことである。