放送倫理・番組向上機構が「光市殺人事件報道」を批判

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放送倫理・番組向上機構が「山口県光市母子殺害事件」に関する報道について警告しています。

まずは毎日新聞の報道から。

<BPO>テレビ8局に「公平性欠く」 山口・光母子殺害で
毎日新聞 4月15日22時13分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080415-00000136-mai-soci

放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送倫理検証委員会」(委員長=川端和治弁護士)は15日、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審を扱ったテレビ8局、延べ33番組について「被告や弁護人を批判するニュアンスが濃く、公平性や正確性に欠けた」などとする意見を発表。同日、該当各局の担当者に文書を手渡した。

川端委員長は会見で、「来年5月に始まる裁判員制度でテレビが不当な影響を与え、誤った裁判を行うことになれば非常に重大な問題になる」と懸念を述べた。

問題となったのは昨年5~9月に放送されたNHKや在京キー局などのニュースや情報番組。いずれも1審、2審では殺人罪を否認しなかった弁護側が、最高裁の差し戻し後の広島高裁で一転して殺意を否認したことを取り上げたもの。

弁護側より遺族の会見を詳しく伝える番組がほとんどで、弁護側が傷害致死罪を主張したことを「命ごいのシナリオ」と呼び、「弁護側の目的は死刑制度廃止を社会に訴えること」と決め付ける内容もあったという。

意見書では、被告や弁護側の批判に終始し感情的に制作された▽遺族と弁護側の対立構図を描いて検察側を軽視した▽ゲストの発言が一方に傾いても司会者が調整役を務めた番組が極端に少なかった--などと批判した。【丸山進】

BPO意見書は、事件報道が加熱して、集団的過剰同調の状態にあったと述べています。
そして視聴者に誤ったイメージを与えたのではないかと疑問を呈しています。
大事だと思うポイントを転載しますが、みなさんもぜひ全文に触れて下さい。

それにしてもこういう状態に陥らせた責任者の一人が、橋下徹がいまや知事さんですよ。ちょっと弁がたつ人気者に煽られれば、無批判に騒ぎ立てる世相。こんな有様を見ていると、この国をファシズムにもっていくのは思いの外簡単なのではないか、私はそういう薄ら寒い思いを禁じ得ません。

光市母子殺害事件の再戻控訴審に関する放送についての意見
放送倫理検証委員会決定第4号
2008年4月15日

https://www.bpo.gr.jp/wordpress/wp-content/themes/codex/pdf/kensyo/determination/2008/04/dec/0.pdf

Ⅳ 集団的過剰同調――本件放送の事例と傾向

例えば、ある番組の司会者は、被告・弁護団がこれまで事実として認定されてきた犯行態様を否定し、別様の要因からなる傷害致死を主張したことに対し、「命乞いのシナリオ」と呼び、「万が一にもこのような主張が採用されることはないと思うんですが、その万が一がもしあったとしたら、もう世も末と言わざるを得なくなってしまうということなんですね」と言う。

この番組は、その「命乞いのシナリオ」がどのような文脈や根拠から出てきているのかを掘り下げていないため、被告の奇異な発言だけが浮き彫りにされ、法廷審理で何が争われているのか、視聴者にはわからない構成になっている。

別の放送局の番組では、やはり司会者が「『ドラえもんが何とかしてくれる』って、笑わせるんじゃないよって言いたくなるよな」「女性をね、殺して、ねっ、暴行する。それは何のために? 『殺した女性を復活させるため』。そんなもん、世の中で通用するわけないでしょ」と、あきれ顔で言っている。

この番組にも、被告の、一見荒唐無稽にしか思えない発言の真意が何であるかについての取材や解説がない。犯罪は被告の内にある何らかの荒唐無稽、異常、異様、破綻、失調等々がなければ起きなかったはずだから、そのよって来たるところを探ることこそがメディアの仕事であろう。しかし、ここにはその取り組みがないまま、片言をとらえただけの表面的な断定しかない。

……

某局のある番組は「光市母子殺害で大弁護団21人集結の『目的』」というテロップのあとで、暗い照明で浮かび上がらせた弁護団一人ひとりの顔写真を映し出し、その後、被害者遺族が「(彼らは)被告人を救おうということよりも、救うことが手段であって、目的は死刑制度廃止ということを社会に訴えること」と語るシーンをつなげ、それを引き取った司会者が「この21人の弁護団のそもそもの目的というのが、はっきり浮かび上がってきたなあ、という感じがいたします」とつづける。

これも「弁護団」対「被害者遺族」という対立構図を描いた番組のひとつである。たしかに弁護団のなかには死刑制度廃止を訴えてきた弁護士も何人かいるようだが、それ自体は思想信条の自由に属す事柄である。しかも、死刑制度廃止論はこの差戻控訴審の争点にもなっていないし、彼らがその主張を法廷で述べた形跡もない。番組制作者がそれでも死刑制度廃止論者が弁護人になったこと自体が重要テーマだと考えるなら、きちんとした取材に基づいて、それが批判するに値する事柄であるという理由を示す必要がある。それがないままに、被害者遺族の意見を引用・紹介し、そこに同調するだけに終わっている。

Ⅴ 刑事裁判――その前提的知識の不足

【問題の所在】
裁判制度に照らして見るとき、本件放送の際立った特徴は次の2点だった。
(1)被告・弁護団に対する反発・批判の激しさ
(2)裁判所・検察官の存在の極端な軽視

前者は、「第1、2審で争わなかった事実問題を、差戻控訴審になって持ち出すのはおかしい」「被害者遺族の無念の思いを踏みにじっている」「弁護団は死刑制度反対のために、この裁判を利用している」等々の反発・批判をさかんに浴びせたことを指す。多くの番組がそのことだけに終始した、という印象すらある。

その裏返しとして、ほとんどの番組は、裁判所がどのような訴訟指揮を行い、検察官が法廷で何を主張・立証したか、第1、2審の判決にもかかわらず死刑という量刑を追い求めた理由は何なのかについて、まったくといってよいほど伝えていない。その分、被告・弁護団が荒唐無稽、奇異なことを言い、次々に鑑定人などの証人尋問を行って、あたかも法廷を勝手に動かしているかのようなイメージが極度に強調された。
これが、後者の問題である。

これらの背景には、番組制作者に刑事裁判の仕組みについての前提的知識が欠けていたか、あるいは知っていても軽視した、という事情があったのではないだろうか。