米軍は戦い方を変えた 2.17改訂

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アフガンのタリバン掃討作戦、誤爆で民間人12人死亡
*http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1110761&media_id=52

日本では報道されないアフガンの戦闘を、米軍情報紙が克明に伝えているので、まとめて紹介します。昨年着任した米軍・NATO軍の合同司令官マクリスタル大将はこれまでの司令官と明らかに違います。彼は昨年こう述べました。

これは通常の戦闘とは異なっている。有利な地形を確保したり、敵軍を損耗させる伝統的な戦法以上に、我々がどう戦うかが、結果を左右するだろう。我々は民間人を死傷させたり、ひどい損害を出して民衆を離反させることにより、戦いに勝って戦争に負けるワナに落ちることを避けなければならない。民衆の支持が、戦っている双方(米軍とタリバン)にとって重要だ。タリバンは軍事的に我々を打倒できないが、我々は(その戦い方によって)自分自身を敗北させることができるのだ。武力行使を制限することは兵士を危険にさらすことになる。しかし強硬手段が民衆を離反させれば、遙かに大きな危険を生むだろう。
*http://www.military.com/news/article/mcchrystal-only-we-can-defeat-us.html

彼が司令官に就任して以来、民間人の被害は明らかに減っています。空爆回数を極端に減らし、それに代えて夜襲を多用したからだといいます。そして民間家屋やモスクの捜索にはアフガン軍が当たっています。主要な打撃は、白兵戦を厭わずに米軍が担い、アフガン人が治安を担当するのです。その方が反感が少ないからだそうです。今回、マージャの長老が、米軍に対して早く街を攻撃するよう要請したとの報道がありましたが、これはマクリスタル方式が成功しつつあることを示しているように思えます。

タリバンはアルカイダ式の自爆攻撃やIED(仕掛け爆弾)作戦で、米軍以上に民間人を巻き添えにしています。そのせいでタリバンへの反感が増しているそうです。そのIEDもマージャでは功を奏していません。米軍は軍用犬に仕掛け爆弾を捜索させ、地雷原突破車を投入して先頭を走らせているからです。

しかしどんなに慎重になっても、民間人の被害が避けられないのが市街戦です。脱出者の証言では、タリバンは市民を家に閉じこめているそうです。人間の盾にするつもりなのでしょう。そこで米軍は一軒一軒、しらみつぶしに捜索しながら、時間を掛けて進撃しているようです。民家に仕掛けられた多数のトラップが発見され、除去されています。まるで第二次大戦に逆戻りしたようなものです。こういう作戦だと、友軍がいるところを空爆できませんから、マージャは第二のファルージャにならないと私は予想します。

むしろ、こんなやり方で米軍側に被害の少ないのが驚きです。タリバンは市街地中心部に集中して、反撃を狙っているのでしょうか。それともハマスのように、建物に隠れて震えているのでしょうか。いずれにせよ、マージャは数週間で制圧され、タリバンは拠点を失い、この地域の広大なケシ畑からの収益も失うことになります。

こういう作戦が成功すると、タリバンはますます市街地での自爆攻撃に活路を見いださざるを得ません。しかし検問を突破できないので、自爆攻撃はアフガン人警察や市民の犠牲をいたずらに増やす結果を招いています。彼らが米軍を翻弄しているうちは民衆はタリバンを支持するでしょうが、劣勢になればたちまち民衆はタリバンから離反するでしょう。

さてマクリスタル方式を生んだ要因は何でしょうか。世界的な反戦世論だったと思います。米国が恐れるのは連合国の離反です。米軍の大義を支えているのはISAFIという連合軍です。米国単独の戦争になってしまっては戦争の正当性の大半が失われてしまいます。英国でいまイラク戦争の検証が行われていますが、あの動きを支えているのが、市民の反戦意識であるのは明らかです。そして激しい反戦意識をもたらした大きな要因の一つに、ファルージャショックがあります。ファルージャでの残酷な戦闘は世界的な非難を浴びました。その世論がNATO参加政府を動揺させています。米国としては、この現実に配慮せざるを得なかったのだと思います。

地雷禁止条約の成立が一例ですが、反戦世論が国際政治を動かし、戦争のやり方を変えつつあります。ファルージャを繰り返すな、巻き添えで市民を殺すなとのアピールを、いまや軍当局も無視できなくなっている。米軍当局の「市民被害を極小化することで、より人道的な戦争をめざす」との意見は、戦争肯定のための言い訳に過ぎません。

ある事態を評価するに当たり、前進面を見るか、まだ足りない面を強調するか、方向性が間違っているとして全否定するか、さまざまな立場があろうと思います。私は軍隊が言い訳しながら戦争しなければならなくなったという事態を、前進的にとらえたいと思います。戦争否定の論理と結びついて、人命尊重の思想を戦争の領域に広げている点において、意味があると思うのです。「米軍は良い戦争をしている」という意見には与しません。

残念なのは、反戦運動の一部に見られる、アルカイダやハマスを支持するかのごとき意見です。米軍と戦っているから「敵の敵は味方」ということでしょうか。私は、アルカイダやハマスの戦いの動機は理解できますが、その手法を容認できません。民衆を盾にして戦う卑怯なやり方が、支持を集められるとは思えないからです。ある局面においては、米軍以上に民衆の敵ではないかとさえ思います。この評価には異論もあろうかとは思いますが、動機の正しさが方法の正しさを意味しませんからね。

詳しい戦況はこちら
http://www.military.com/