「平和国家コスタリカなんて幻だ」という意見について

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きのう書いた日記、「消費税UPを語る前に聞いて欲しい話」

「必要ならば政治家は消費税アップをためらうな」 「国民におもねるな」 よく聞く意見です。まあまあ、そういう前に、以下のお話を聞いてから考えて欲しいなというのが、本日の主旨です。国際ジャーナリスト伊藤千尋さんの講演記録です。 税金の話にたど...

に風棲さんのコメントが付きました。

>日本の平和主義者は何があってもそんなもの(国土防衛のこと)認めないし日本を守ろうとする自衛隊のジャマをするでしょう。

私も平和主義者のつもりなんですが。
侵略されたら自衛隊を使って排除すると共産党も言ってますが。
なかには風棲さんがいうような平和主義者もいるかもしれませんが、なににつけても相手を自分の都合に合わせて一色に染めて批判するのは止めましょう。

>実はニカラグアにも国家予算の18%を教育予算に回すという『憲法』が存在してるんですが、こっちは余り有名じゃないのはなんでだろう?

よく分かりませんが、「1999年のニカラグアでは10歳以上の人口の23パーセントは読み書きができず、特に貧困地区での非識字率は51パーセントにも達していました。また、国民の平均教育年数は4.5年で、子供たちの3分の1は全く初等教育を受けていない状態でした」という状態だったからではないでしょうか。現在その克服の取組が進んでいるところです。「国レベルでは、小学校教育を終える生徒の率が1997年から2003年の6年間で27パーセントから41パーセント」になったそうです。

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>それを言えば日本と韓国の経済規模もそれなりに差がありますが韓国と日本の軍事費は大体1:3ですね。

コスタリカの警察組織8000人のうち、国境警備隊(市民警察)は約2000人。とはいうものの常備軍じゃないから普段は警察官として働いています。だから防衛費がいくらかを算出するのは困難ですが、まあ国境警備隊は勤務時間の半分を軍事訓練に費やしていると仮定しましょう。正面装備費なんかほとんどかかっていないので、すると警察予算の1/8程度が防衛費と考えても良いでしょう。

するとニカラグアの3/8が防衛費。多くても半分がいいところでしょう。2008年のニカラグアの名目GDPは約63億6500万ドル。コスタリカは296億7,028万ドル。コスタリカとニカラグアのGDPは約5:1。それでいてニカラグアの防衛費の半分で安全保障をまかなっていることになります。日本と韓国に当てはめれば、GDPは日本が4,923.76億ドル、韓国が947.01億ドルだから、やはり5:1。この韓国の半分の防衛費で自衛隊と海上保安庁を維持しているようなものです。すごいじゃないですか。

>まぁ日本の場合、仮想敵国は中国とロシアであり、特に中国は現在進行形で侵略している国家ですし、話し合いで何とかなるような相手でも無いでしょう。

日本に仮想敵国はありません(そういうタテマエです)。ですが、最新戦闘機を備えた国に抑止力を発揮するには、レシプロ機ってわけにもいかないのである程度の備えは必要ですが、軍事力だけで安全を担保するのは非現実的です。ではどの程度を平和戦略で担保しうるのか、そういう検討が必要だと思うんですが、この国ではついぞされたことがありません。どの程度の防衛力がなぜ必要かは、常に軍事バランスのみを考慮して語られてきました。それでいいのかというのが、伊藤千尋さんの問いかけなんですよ。

さて以下はコスタリカの政策の変遷についてです。

コスタリカはお花畑にある国ではありません。国内には様々な政治潮流があって、互いに拮抗しながら政権交代してきました。国内には自由コスタリカ運動(MCRL)という反共暴力団がいます。世界反共連盟の指導を受けて創設され、保守政権の閣僚までメンバーで、数千名の兵士を持つと自称しています。ちなみに平和憲法では左翼政党を禁止する条項があり、削除されたのは1975年です。つまりそれまで平和政策は左翼政党抜きに進められたことになります。ざっと言えば、国民連合党など保守政権のときは平和政策があやふやになり、人民連合や民主改革党など左派・中道政権のときにはそれが強化されています(例外もあります)。

コスタリカがニカラグアをつぶすための米国の政策に協力したのは本当です。しかし以下の具体的な歴史を知れば、風棲さんたちがいかに浅薄なものの見方をしているかが分かるでしょう。

1979年、ニカラグアにサンディニスタ政権が誕生しました。コスタリカのカラソ大統領はニカラグア初の公賓として同国を公式訪問しています。それはコスタリカ政府が一貫してサンディニスタを支援していたからです。このときコスタリカは左派・中道政権でした。

1980年代、コスタリカは折しも襲いかかった石油ショックや近隣国の紛争により経済が混乱、さらにレーガン政権になると、ニカラグアとその支援国に対する経済制裁が実施されました。(2002年に至っても制裁対象国リストにコスタリカの名が残っています。(『一方的制裁』カーター・バリー、ウィリアム・ミカエル著、ジョージタウン大学法律センター発行)

コスタリカも経済的に締め上げられました。インフレ率は82%となり、国民一人当たり収入は15%減少、労働者の平均賃金は42%減少します。左派のカラソ大統領は経済苦境の中で、米国の反ニカラグア・キャンペーンに加わる決断をします。これにより米国からの援助額が急増します。露骨なもんですね。

1982年、中道右派の国民解放党のモンヘ大統領が誕生。IMF支援と引き換えに米軍特殊部隊の軍事顧問を受け容れて、ニカラグアの旧政府軍残党「コントラ」が国内に基地を作ったのを黙認します。

これが国内の猛反発をよびました。

モンヘ大統領は政権維持のために「コスタリカの永世的・積極的・非武装中立に関する大統領宣言」を発表します。大統領宣言に対する国民投票では、83%が軍創設に反対、77%は武器購入にも反対しました。この宣言は実効性がありませんでした。だってコントラ支援を続けていたのですから。しかし政治的な意味はありました。1983年の「中立宣言式典」にウィンザー米大使が欠席し、米国が不快感を表明していますし、この宣言により国内平和勢力が勢いを盛り返します。しかしことは国の存立にも関わることです。左派も一枚岩ではありません。1984年、ニカラグア政策をめぐり共産党(人民前衛党)が分裂しています。

1985年、政権と国民の不和が拡大します。米国はコスタリカ国家警備隊訓練のために軍事顧問としてグリーンベレーを派遣し、市民警察内に「稲妻大隊」750名を組織して、ニカラグア国境附近のキャンプで対ゲリラ戦の訓練を施しました。米国の軍事援助は年間1,000万ドルに達し、国家警備隊は8,000人に増員され、M16小銃4,000丁が渡されたといいます。そして5月、コスタリカ市民警察の兵2人が国境地帯で射殺されます。犯人はニカラグア兵士だとされました。モンヘ政権はただちに非常事態を布告しました。ついで7月、首都サンホセのニカラグア大使館が襲撃されました。後に判明したところでは、これらはコスタリカを紛争に巻き込もうとするCIAの謀略でした。犯行に加わった英国人の傭兵ピーター・グリバリーとジョン・デーヴィスが逮捕され、自供したのです。

1986年、モンヘ政権の軍事政策に大反発していた国民は、米国の選挙干渉をはねのけて、中道・左派連合のアリアス大統領を誕生させました。彼は中米和平と国内経済再建を新政権の2大課題とし、早速コントラの逮捕に乗り出しました。また米国に、悪名高きジョン・ハル農場(コントラがニカラグアを爆撃するための飛行場)の閉鎖を求め、応じないなら実力閉鎖すると通告します。

国内右派は米国大使と協議して対抗措置を練りました。

「アリアスを呼びつけてこう言ってやる。もし作戦を実施するなら、8,000万ドルの経済援助を停止し、レーガンとの会談予定もキャンセルしてやると。アリアスにそう言ってくれ、この考えはポインデクスター国家安全保障担当補佐官も支持していると。」当時報道された米国大使の発言です。

9月、コスタリカ市民警察がジョン・ハル農場を急襲、ドラム缶77本のガソリンを押収し、滑走路を閉鎖しました。アリアス大統領は直ちに作戦の概要を説明するとともに、これ以上のコントラの活動を許さないと表明します。同月、アリアス大統領が訪米し、レーガン大統領と会談。米国のコントラ援助を批判しました。「あなたがたがコントラ援助を強化すれば,その分オルテガはソビエトからせしめるでしょう」

1987年2月、アリアスの提案で、サンホセで米国抜きの中米和平再検討のため、ECや中米5カ国による外相会議(サンホセIII)がもたれ、彼の和平プランはヨーロッパ諸国の支持を取り付けました。同月、アリアスは直ちに中米首脳4カ国会談を開催、「中米における確固たる持続的な平和を樹立するための手順」を発表しました。

8月、第2回中米首脳会談で「エスキプラス2合意」と呼ばれる、和平に向けた共同行動計画が成立。レーガン提案を捨ててアリアス提案を骨子とする「中米における確固たる恒久的和平樹立のための手順」を採択しました。これにより、中米和平が具体的に進展することになったのです。10月、アリアス大統領はエスキプラス2合意達成への貢献によりノーベル平和賞を授賞しました。

これがざっと見た当時の歴史の流れです。どうです、ダイナミックでしょう? 様々な困難があり、反動も妨害もありつつ、こうやって歴史を進めてきたのがコスタリカ国民です。われわれも見習わなきゃね。

パナマについては長くなるのでまた今度。