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派遣村について書いた日記
「派遣村批判と慶安の御触書」
http://doro-project.net/archives/2481
に、つぎのような批判が寄せられました。
- 派遣村と言ったってほとんどはホームレスじゃないか。
- 貯金もせずただ日々暮らしていた者に同情の余地はない。人格破綻者だ。
- 9条の会の旗があったことでわかるように、左翼の宣伝の場にすぎない。
- 報道管制を敷くなど、運営がおかしい。
これについて私の考えを書きます。
■派遣村と言ったってほとんどはホームレスじゃないか
派遣村の主催者の一人である宇都宮健児弁護士とは「アイフル被害対策全国会議」の集まりで何度か一緒のテーブルについたことがあります。氏はもともと闇金やクレジット・サラ金問題をやっていた方です。
クレ・サラ運動にたずさわる優秀な弁護士たちのおかげで、サラ金のいう理屈は法廷でことごとくひっくり返されました。そのため、全国で過払い金返還が当たり前になりましたね。運動に全然かかわってこなかった弁護士や司法書士が、いまそれを商売として熱心にやってますが、運動にたずさわってきた弁護士たちはいま新たな方面にチャレンジしています。
反貧困です。
それはサラ金問題の根っこには日本の貧困問題があり、そこを解決しないと自分たちがいくらサラ金と戦ってもそれだけでは被害者が救われないという現実をいやというほど見せつけられたからです。
派遣村も、もともとは反貧困の運動から出発しています。
ですから派遣村にホームレスが集まっても、ちっともかまわないんです。
■貯金もせずただ日々暮らしていた者に同情の余地はない。人格破綻者だ。
派遣切りの失業者というのが幻で、そんなものはどこにもいないというなら、「派遣村と言ったってほとんどはホームレスじゃないか」という批判は正当かも知れません。しかし派遣切りの失業者が大量にいるのは事実なんです。
これまでも日雇い派遣は山谷やあいりん地区にみられるとおり「人夫出し」という名称でこっそりとはびこっており、多数の貧困者を生み出していました。ホームレスの人には元日雇い労務者が多いですね。
しかしこれまで非合法だったそういう雇用形態が合法化され、土建関係にとどまっていた搾取業が全製造業に広がり、やくざのするようなピンハネが野放しとなって、派遣会社はその利益で東証一部に上場できることにもなりました。
派遣先は人件費削減で利益を上げました。派遣会社はピンハネで利益をあげました。その分だけ派遣社員は貧困化しており、不安定雇用状態におかれています。それが理由で貧困の質と量が数年前から全然違ってきたんです。
そして派遣社員がこの不況で一斉に首を切られました。女性を含む20代や30代の成年がホームレスになるなんて、10年前には想像もつかなかった事態ですが、まぎれもなく現実なんですよね。これまでならあり得なかったことが日本全国で大量に同時に起きているんです。
この事態は本人の気の持ちようや、やる気のなさだけでは説明のつかない現象です。日本人の精神構造が急変したのだというのでもない限りね。
派遣村の相談活動で元の会社に戻れたり、新しい就職先が決まった事例が報道されています。この人たちは、派遣村がなかったらどうなっていたんでしょうか。
■9条の会の旗があったことでわかるように、左翼の宣伝の場にすぎない
問題は日本社会の構造にあります。いま、日本社会の構造改革が必要なんですよね。人間の生命や尊厳、基本的人権がないがしろにされている現状を変革して、それらが大切にされる社会にしなければならない。この問題意識は9条の会と共通しています。だから9条の会が反貧困運動に参画するのはほとんど必然と言えます。
現れている問題を個別のものとして分析して対応するのは当然としても、個別の問題がそれ自体として孤立して存在いるものでもないのだから、総合的なアプローチも必要です。
派遣村に9条の会の旗が立っているのがおかしいと言ったって、9条の会のひとたちがそういう問題に敏感だから集まっているんだもの、それでいいじゃないかと思います。
まあ憲法問題とは無関係に反貧困の運動に共感する人だっているだろうから、9条の会の旗がそういう人たちを遠ざけてしまうのなら、旗を遠慮した方がいいと思いますけれど。
■報道管制を敷くなど、運営がおかしい
派遣村は公共の場であると同時に村民の生活の場ですから、その平穏を守る目的で取材制限するのは当然です。人物を撮影するなら本人の同意をとるべしとか、物見高い「見物人」を閉め出すために報道関係者は腕章を巻いて身分を示すべしとかは、当たり前の規制です。
本部テントなど以外の撮影が禁じられているというのは誤解で、禁じられているのは概観撮影に限られています。生活の場を無遠慮に撮影されるのは、誰にとっても不愉快なものですからね。
↓年越し派遣村 取材時の注意点
*http://hakenmura.alt-server.org/staticpages/index.php/guide_media
ボランティア体験記を読むと、係ボランティアが主催者の意図を超えて過剰な配慮をしていた事例もあったようです。こういうことはあるでしょうけど、それが派遣村の意義を台無しにしてしまうほどの大問題とも思えません。
まあ、批判は個々の内容云々より、「人権派」と目される人たちのやっていることが肯定的に報道され、社会的影響力をもつことへの過剰な警戒感から発生しているのではないかなと、これが私の感想です。
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<「年越し派遣村」関連情報>
下記のリンクは、年越し派遣村でボランティア活動された方の体験記。すごくためになりました。
年越し派遣村でお手伝い
とね日記 2009/1/2
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/fda4acfc1777ebe89bb54c4b4e22064b
こんな記事もありました。
しんぶん赤旗
2009/1/6働いていた介護の事業所が閉鎖され派遣村に来た男性(27)は、派遣村スタッフが一緒に会社とかけあい、別の事業所で寮付きで働けることになりました。「親身に相談に乗ってくれ、人のあたたかみを感じました」と話します。現在、妻と生まれたばかりの子どもを、妻の実家にあずけています。「早くお金をためて、家族で暮らしたい」と語りました。
昨年九月まで群馬県内で働いていた元派遣社員の男性(37)は「自殺を考えたこともあった。じっくりと次の仕事と安定した住居を探したい。少しは希望を持っている」と話しました。
かぜ薬をのんでいた男性(61)は、「小池晃さん(医師、日本共産党参院議員)に健康の相談に乗ってもらった。ボランティアの方々に本当に助けられた」としみじみ話します。「これで、何もしなければ申し訳が立たない。今度は、私たちが立ち上がる番です」と決意を込めました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-01-06/2009010615_01_0.html
しんぶん赤旗
2009/1/5「川崎市の三菱ふそうを十一月末に解雇された」という男性(37)は、「二十五円しか持っていません」といいます。
男性は三菱ふそうで派遣労働者として働く二年半前までは、証券会社でサラリーマンをしていました。
「証券会社で働いていたときは、睡眠時間は三時間から四時間。家族が崩壊し、会社を辞めて派遣に登録しました」
派遣先では、トラックやバスのエンジンカバーを取り付ける作業。「汚い」「きつい」「危険」の3K職場でした。
男性は「駅頭で『派遣村』のビラをもらい、歩いてきました。ここにきて生活保護を申請しました。もう失う物はない。希望をなんとか手繰り寄せたい」と、炊き出しの食事にホッとしていました。
四日朝、「派遣村」に着き、生活相談を受けていた男性(35)は、派遣社員として愛知県の自動車下請け工場で、部品の設計をしていました。
「乗る人の安全を考え、厳しい要求にもこたえてきたのに、非正規雇用だということで切られた」と、悔しさをにじませていました。「いまの生活は精神的にも苦しい。安定した暮らしがしたい」と話しました。
「日本にこんなあったかい心をもった人たちがいたことに救われた思いがします」というのは、愛知県でトヨタ自動車の下請け工場で働いてきた二十七歳の男性派遣労働者。「ネットカフェなどで新宿や池袋で生活してきましたが、手持ちのお金はゼロに等しくなって、ここに来ました。東京なら求人があるだろうときたがだめでした。支援者に出会えてよかった」
青森県出身の日雇い派遣の女性(28)。昨年三月ごろから仕事が減って、日雇いで働いてきました。「友だちのところにいたのですが、友だちから『派遣村』のことを聞いてきました。うつ病で働けません。助けてください」と、すがるように訴えていました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2009-01-05/2009010515_01_0.html