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「9.29沖縄歴史教科書問題県民大会 コミュ」というのがあります。
そこに、1本のトピが立てられました。
「相互理解を深めるための議論トピ」
県民大会を契機に沖縄への関心が高まっています。
私は少なくとも日本人同士においては、どんな認識の人とも意見交換し、
相手の思想や立場を理解し尊重できると考えております。
こういう触れ込みで始まったトピです。
時間がかかったけれど、軍命令を否定したいトピ主さんの論拠をひとつひとつ崩していくと、トピ主さんはどろの質問に、答弁不能に陥りました。そしてついにこんな本音が出てきました。
当時の方々が信じて戦った「大東亜共栄圏」「八紘一宇」をバカにするような発言には私は先人に守って貰った人間として強い憤りを覚えます。
こんなこと私は書いていないのに、勝手に逆噴射してるんです。
日本軍と当時の日本人の尊い犠牲は、アジアの独立と今を生きる私達を守るためにあった。私達は先人に感謝し、敬意を持ち、そして勇敢に戦った先人の子孫として誇りを持って生きれば良いと思います。
未だに正しい大東亜共栄圏と八紘一宇の理想に向けて全力で戦った先人と、その苛烈な戦いにより犠牲になった人の話と成し遂げられた大儀を伝えるべきと考えます。
正体見たりい~(^O^)
しかも、「はっこういちう」~?
ウププッ、古代史ファンの私にこんなテーマで挑もうとは身の程知らずめ~ !(^^)!
「八紘一宇(はっこういちう)」とは、直訳すれば「世界は一つの屋根の下」ということです。んで、今日はそういう意見に私が答えた書き込みの一部を、日記に上げます。わはは、コピーするだけでいいぞ。楽ちんだい(^_^)v
■大東亜共栄圏とは
外に美しい看板をかかげ、内で逆のことを画策していたのが「大東亜共栄圏」です。「大東亜政略指導大綱」という、御前会議で決定された政府の最高意思政策文書があります(外務省レファレンスで原文が公開されています)。全4項目のうち発表されたのは(2)と(3)だけで、(1)と(4)は秘密にされました。ここでは秘密にした(1)と(4)を紹介しますね。
(1) マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベスは帝国領土と決定し、極力これが開発ならびに民心把握に努む。
(4) 前記各地では当分軍政を継続することとなす。(前記各地とは日本領土に決めた地域の他、ビルマ、フィリピンなど日本軍占領地と、連合軍に奪われたマレー半島を指す)
インドネシアやマレーを武力征服して自国領土に編入する、これがアジアの解放ですか?
■八紘一宇とは
「八紘一宇」とはどういう意味ですか?
昭和15年、近衛文麿首相が「皇国の国是は、八紘を一宇となす建国の精神に基づく」と発言しています。「八紘を一宇となす建国の精神」とは何かをみれば、その根拠は日本書紀にあります。「掩八紘而爲宇」という神武天皇の言葉です。神武天皇はどのような思想で、どのように建国しましたか?
彼が宿敵ナガスネヒコを倒したのは、ナガスネが「天神の子と人間は違う」という天地の道理を認めなかったからだと日本書紀に書いてあります。いきなり侵入してきたのは天神の子たる神武でした。ナガスネはその権威を認めず、自分の領地を明け渡しませんでした。その態度が、「心がねじくれている」ということで、ナガスネは殺されました。これが建国の思想です。
では建国の行動とはどんなものですか?神武は地元の指導者たち多数を和睦の宴席に招待しました。酒で酔わせてから、頃合いを見て一斉に「石つつい」や「こぶつつい」というこん棒で殴り殺しました。「天神の御子の命をもって」とちゃんと書いてあります。
また別の有力指導者を殺したあとには、その死体を切り刻んで野原にばらまきました。
最後に「まつろわぬ民をそけはらいて」つまり従わない者を追放し尽くして、その後に天下を統治する即位儀式を行ったのです。
これが天皇家の「建国」で、八紘一宇はこの精神にもとづくというのです。
神武は実在したと私は思っていますが、戦後は架空説が盛んです。しかし、戦争中は神武実在が国定の歴史でしたから、当然、日本書紀の記述が首相演説の根拠になっているわけです。こういう精神でつくられた「大東亜共栄圏」がどんなものか、およそ想像がつこうというものですね。