沖縄強制集団死 コミュのまとめ

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自決強要はあり得ないので部隊長は無罪
自殺というのは、本人が行うから自殺と言います。ですから自殺は本人の決断によって行われます。実際に手を下すのが自殺者自身である以上、犯人は自殺者自身の内心にしか存在しないと言えます。

この方は自殺教唆という法律をご存じないのでしょうか。死ねと命じて自殺させることです。和歌山県で保険金目当ての自殺教唆事件がありました。福岡では家族同士に殺し合いをさせて全滅させた「北九州監禁連続殺人事件」というのがありましたね。

この方の論理が正しいなら、あらゆる強盗は無罪です。「包丁を突きつけられてカネを出せと脅されても、カネを渡すか渡さないかは本人の決断で行われます。実際にお金を渡すのが本人である以上、その決断は自発的であって、犯人はお金を渡した人自身の内心にしか存在しないと言えます」。こういうのを詭弁というのです。

日本軍にも罪はない
制度によって、他の選択の余地なく自殺した人がいたとすれば、それをあるいは「自殺を強要された」と評することができるかもしれません。沖縄の集団自決について「強制であった」と言うためには、こういった「制度による強制」があったかどうかが判断の基準となります。しかしまず第一に、正式な命令はありません。前にも申し上げましたが、軍は住民に対して命令を下す権限を持っていませんから正式な命令は存在する訳がないのです。ということで、正式な命令がない以上、「制度による強制」は”基本的に”なかったことになります。

軍が住民全体に対して指揮権を持たないということですが、平時の日常感覚で考えてはいけません。法的権限のない命令などいくらでも実例があります。

学童が勤労動員されていますが、何の法的根拠もありません。伊江島でも本島でも女性が斬り込みに参加しています。なんという法律でこういうことが行われたのでしょうか。青年学校の男女生徒や普通の住民が戦車に対する挺身攻撃の訓練をさせられていますが、法律の裏付けなどどこにもありません。ガマを出て行けとか、食料を差し出せという命令に、どんな制度的裏付けがあったでしょうか。何もないけれど、軍の威力でまかりとおっていたのです。

この方の議論は、行為の正統性や正当性ばかりを問題にしていて、行為の効果を度外視しているから変な結論にいたるのです。

日本軍は住民に自決を命令できない
全ての住民は軍に組み込まれていたから、上官の口頭指示は絶対であり、強制であった。このような主張をお持ちなら、それは誤りです。住民は軍に所属していません。鉄血勤皇隊やひめゆり部隊など、実際に軍に組み込まれた「義勇兵」なら、もちろん上官の命令は絶対ですし、促すような指示も強制であり得たでしょう。しかし住民は軍隊に組み込まれていません。

軍の作成した「県民の採るべき方途、その心構へ」は県民をこう指導していました。
「ただ軍の指導を理窟なしに素直に受入れ全県民が兵隊になることだ、即ち一人十殺の闘魂をもつて敵を撃砕するのだ」。
軍決戦の緊迫下でこういう指導がまかり通っていたのが、当時の沖縄です。
「住民は軍隊に組み込まれていません」どころか、「全県民が兵隊になること」、住民も「一人十殺の闘魂をもつて敵を撃砕」せよというのが軍の方針だったのです。

鉄血勤王隊はいかなる法的根拠があって組織されたのでしょう。「義勇兵」だから軍に組み込まれたと書かれていますが、義勇兵役法ができる以前です。義勇兵を募れる法など日本にはありませんでした。「軍に組み込まれたなら、上官の命令は絶対」どころか、軍に組み込まれていない住民に対して軍が強制力を発揮できており、法令に基づかない強制動員が可能だったから、こういうこと(鉄血勤王隊の編成)ができたのです。

「強制集団死」という考えは住民を愚弄するもの
軍人が死ねと言ったら死ぬのか。「命令されたから、命令は聞くものだから、だから嫌だったけど死にました」という人がもしいるとしたら、それはよっぽど規律を叩きこまれた軍人のような人か、極めて愚鈍で自分を省みる能力に欠けた人だと思います。
軍命があったから集団自決が起きたとの主張をお持ちの方がいるとしたら、その方は住民に対して「愚鈍であった」と言っているのと同義です。住民は恐怖で、自らの意思で死んだのです。日本軍の指示は単なるきっかけにすぎなかったのです。そうでないと主張する人こそ、当時の沖縄人を馬鹿にしていると思います。

人間はもっと複雑でしょう。襲いかかってくる米軍への恐怖はあったでしょう。捕虜になったら、非国民になったら生きていけないという恐怖もあったと思います。軍と共に潔く自決するのが日本人の節度である、軍国日本の国民としての真である、天皇陛下のために死ぬことが臣民の努めである……このように考えておられた方も多かったことでしょう。こういった様々な感情がない交ぜになって一人の胸中を支配していたものと思われます。

曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』に、米軍の捕虜になったあと、逃げ出して戻ってきた16歳の少年のエピソードがあります。赤松隊長が少年に何と言ったか、赤松さん自らが曽野綾子に語った言葉が載せられています。彼はこう言ったのです。

「とにかくお前は捕虜になったんだ、日本の者は捕虜になればどうするんだ」。少年は赤松隊長に「兵隊さん、死にます」と答えたと言います。そして少年は、首を吊って死にました。

「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓はいろいろに語られていますが、後世の解釈ではなく当時は実際にどのように語られていたのかを見てみましょう。昭和16年3月10日、陸軍記念日にNHKで放送された「戦陣訓に就て」という講話があります。語ったのは陸軍中將桑木崇明氏。この講話は陸軍省がパンフレットにし、また「偕行社記事」 昭和16年 第800号に記録されています。わたしが現代語したものを転載します。

本訓(戦陣訓)はひとり軍人のみが独占すべきものではない。……銃後一般の国民に対しても極めて適切なものであると考える。長期戦の遂行、特に新秩序の建設は軍人だけでできるものではなく、一般国民に負うところすこぶる大きい。そこで国民各位がこの戦陣訓の精神に準拠し……(後略)

このように政府と軍が「戦陣訓」の精神で国民も戦えと教育していたのです。「とにかくお前は捕虜になったんだ、日本の者は捕虜になればどうするんだ」と問われ、間髪入れずに「兵隊さん、死にます」と中学生が答えた背景が、ここにあります。

帝国臣民ならば軍人さんと共に潔く死ぬのが美しい行為であるという思想、これは大日本帝国の精神教育の成果です。しかし国体護持のために散華しようなどという法律はありません。ありませんが、そういう観念が国民を縛っていたのです。

「決戦与論指導方策要綱」には、「国体ニ対スル信仰ノ喚起昂揚」を行うようにと書いてあります。「帝国日本」という国は、すでに信仰の対象だったのです。捕虜になるよりは死というのは、その教義のひとつでした。誰も彼もがその教義に呪縛されており、行き先も戻り先もない過酷な戦場に置かれたとき、ちょっとした指図や命令で死が選択されてしまったのです。

だったらいまさらなぜ文句があるのか、覚悟の自決だったらそれでいいじゃないかとの意見があると思いますが、覚悟があったら自決を命じて良い理由にはなりません。

■強制集団死の教訓

梅澤部隊長も赤松部隊長も、当時は帝国軍人として教え込まれた指導をしていたに過ぎないと思います。彼らの内心を推し量ってみたいと思います。

いまになればむごい話だが、軍がそれを求めていたじゃないか。“軍官民共生共死”(軍と行政官吏と住民は共に生き、共に死ぬ運命共同体)は、成文化された方面軍の方針じゃないか。「生きて虜囚の辱めを受けず」は全国民の共通理解だったじゃないか。住民に「戦わなくてもいいから逃げろ」などと指導していたら、当時はそれが非難されたに違いないではないか。なぜ当時の国家方針を忠実に実行した我々が悪く言われるのだ、理不尽ではないか……

と、これが正直な胸中でしょう。
しかし彼らはそう言えないのです。

もしもアッツ島・サイパン島のように軍民が玉砕していれば、ここまで軍が悪し様に言われなかったかも知れません。しかし、渡嘉敷島でも座間味島も、軍は玉砕しませんでした。軍が降伏することを知っていれば、住民は自決を選ばなかったにちがいありません。

住民に死ねと命じておいて、自分たちはおめおめと投降しおって……こういう怒りが、彼らに向けられているのだと思います。

けれど私は彼らが玉砕しないで生き残ったのが正解だと思います。「戦陣訓」など守らなくて正解だったのです。兵に玉砕を命じた旧軍の精神そのものが異常だったのです。まして、住民を道連れにするなどもってのほかです。

異常が異常でなくなった時代の恐ろしさ。そのことを深く見つめ、二度と繰り返さないようにすること、それが強制集団死で亡くなられた方々へのせめてもの供養ではないか、私はそう信じます。

■強制であったかなかったかは問題の矮小化

兵に玉砕を命じた旧軍の精神そのものが異常だった。
私はすべての問題はここに帰すると思います。
私も日本人だから武士道の言わんとすることは分かる。しかし、どうして他の価値観を許さなかったのか。なぜ異論は封殺されたのか。まさに問題はそこにあります。強制であったかなかったかはむしろ問題を矮小化します。

大江健三郎氏は『沖縄ノート』で自決命令を下したとされる部隊長を採り上げていますが、その非難の矛先は、じつは沖縄に犠牲を集中させて安逸に生きている、大江氏を含む「本土」に向けられているのです。

(部隊長が)本土の日本人にむかって、なぜおれひとりが自分を責めねばならないのかね? と開きなおれば、たちまちわれわれは、かれの内なるわれわれ自身に鼻つきあわせてしまうだろう。

「部隊長個人を非難している」とか「軍命令の証拠があるのか」などという矮小な議論に封じ込める行為は、否定派こそがしているのです。それは沖縄に対する「本土」の責任を曖昧化する役割しか果たしません。いやそれこそが一連の動きの背後にいる「仕掛け人」の意図だと思われます。

部隊長ひとりを悪者にして、単なる個人の行為だということにしてしまってはいけないのです。大江さんも私たちも常にそのように語っているのに、「やつらは部隊長ひとりを槍玉に挙げている」と歪曲するのが、いわゆる否定派なのです。問題を矮小化して目くらましをしているのです。そこに乗っかるわけにはいきません。自決強制は事実ですが、それが結論ではなく、むしろそこからが出発点なのです。

私たちは「大日本帝国」を克服できているでしょうか。
いまも異論を封殺する国に生きていないでしょうか。

沖縄に基地を押し付けて安逸をむさぼりつつ、基地に反対する沖縄世論を「きちがい」と貶める人がいます。従軍慰安婦の展示をするなら会場を貸すなと圧力をかける人がいて、その圧力に負ける自治体があります。「南京事件」の映画はとうとう上映できませんでした。

大戦時期の大日本帝国は狂気が支配していた国でしたが、はじめから狂った国ではありませんでした。少しずつ、少しずつ、言論が奪われ、自由が奪われ、気づけば精神ががんじがらめに呪縛されていたのです。

君が代に起立しなかったという理由で職を失う教師がいますが、その教師に対して、「公務員だから上司の指示に従うのが当然だ」という形式論理が投げかけられています。それは臣民ならば「戦陣訓」を規範とすべきだとか、決戦なのだから軍命に従わなければ非国民だという論理と構造がおなじです。

問われるべきなのは「戦陣訓」そのものの妥当性であり、軍命至上主義であり、君が代に起立せよという指示の正当性なのです。けれども、「決まったことだから従わなければいけない」という論理で異論が排除されていったのが、大日本帝国でした。いまは、はたしてどうでしょうか。

「おれはその時代に忠実だっただけだ」と部隊長は言うかも知れません。
「その時代」を許してしまったのは国民です。
その時代を最も忠実に生きたのが部隊長であり、その時代に最も典型的に踏みにじられたのが集団自決者だったと言えるかも知れません。

私たちは強制集団死を悪しき典型例として、そこから学ばねばなりません。「時代の空気」というものがいかに恐るべきものであるか、いかに人をして残酷にならしめるか、その結果がどれほど人間を悲惨なところに追いつめるものであるか、私たちはしっかりと学ばねばならないと思います。

そのためには、教科書に「軍の強制」をしっかりと復活させなければならないと思うのです。(教科書には「軍の命令」という記述は初めから存在しませんでした。念のため。)