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部隊長の自決命令があったのか、それともなかったのか。
これが法廷で争われるべきだったと産経などがうるさく主張しています。
そこでその言い分が正しいかどうかについて、メモ的に整理しておこうと思います。
大江さんの本で赤松・梅澤両氏の名誉が侵害されたのが事実であるとしましょう。しかし名誉が侵害されていても、つぎの3条件に当てはまる場合は、違法性がないとされます。
- 公共性=公共の利害に関する事実に係ること
- 公益性=その目的が公益を図ることにある
- 真実性=事実の真否を判断し、真実であることの証明がある(真実である証明ができなくても、それが真実であると信じるに足る事情が証明できればよい)
公共性とか公益性とは何でしょうか。
犯罪を犯しても裁判にかけられていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなされます。(刑法230条の2第2項)
公務員に関する事実に関しては、公益目的に出たものであるとされます。(230条の2第3項)
自決強要はどちらにもあてはまっています。
ですから「真実性の証明」がなされれば、被告は無罪です。
真実性については必ずしも真実である必要はありません。真実と思ったがじつは誤解だったという場合でも、それを真実と誤認しても仕方がないと認められる場合であれば、その責任を問われません。確実な証拠や根拠に基づいて書いたのだから、その証拠や根拠が間違っていても、そのことで責任は問われないというのです。(最高裁大法廷判決 昭和44年6月25日)
まとめれば、以下の条件のどちらかが満たされれば違法行為ではないとされます。
(ア) 書かれた内容が真実であると証明できる。
(イ) 真実であると信じた合理的な理由がある。
これは、日本国憲法21条の保障する表現の自由と人の名誉権の保護との調整を図るため設けられた規定です。裁判所は今回、(イ)が成立していると判断しました。
しかしです。事実が真実であっても、終始人を愚弄する侮辱的な表現をした場合は、公益を図る目的とみなされません。
ですから曽野綾子が「大きな罪の巨塊」を「大きな罪の巨魁」と誤読したのは彼女なら無理もないとしても、弁護団までがその誤読に乗せられてしまったのはそこなんです。「おおっ、侮蔑してるがな、これで勝てるぞ!」という期待感で目がくもってしまったんだと思います。「大きな罪の巨塊」なら個人ではなく「罪」そのものを糾弾しているのですが、「大きな罪の巨魁」なら部隊長個人を糾弾していることになりますから。
また弁護団は当初『沖縄ノート』を読まずに右派お得意の歪曲捏造文を信じ込んでいました。そこで部隊長を「人民裁判で絞首刑」に処すべきなどという、大江さんが書いてもいない文章を書いているとしていました。
これなども「人を愚弄する侮辱的な表現」に当たると考えて裁判に打って出たのでしょうが、なんのことはない、そんな文章はどこにもなくて、弁護団は困ってしまったと思います。結局原告側はいわゆる「処罰阻却事由説」にたって訴えを続けるしかなくなってしまいました。これは真実でないものは罰するという考え方です。そこで命令の有無にこだわり続けました。そういう正攻法しか残されていなかったからです。
しかし日本の法廷は「違法性阻却事由説」に立ちます。これは真実の証明ができなくても、真実だと信じた理由があれば罰せられないという考えです。原告側は大江の故意または重大な過失を打ち出さねばならなかったのですが、それはできません。名誉毀損を構成する要件に不足していたのです。だから彼らの言い分が通る見込みはありませんでした。
控訴審では、おそらく「終始人を愚弄する侮辱的な表現」に焦点を当ててくるでしょう。また『沖縄戦史』の記述を細かくあげて、注意すればそこにミスが多いことはわかったはずだなどという攻撃もしかけてくると思います。「違法性阻却事由つぶし」です。われわれも勉強して、産経言論なんかに煙に巻かれないよう、草の根から対抗しないといけませんね。