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押し付け論さらにつづき
■誰が何を押し付けられたのか
形式的には自主憲法、しかし実質は押しつけ、それはたしかだと思う。だがそうなったのはなぜなのか。日本が周辺諸国にさまざまな無理難題を押し付けた、その結果ではないか。
中国に領土分割を押し付けて台湾や満州をうばった。韓国に併合を押し付けて植民地にした。中国に軍事的屈服要求を押し付けて攻めいった。アジア諸国に「大東亜共栄圏」を押し付けて侵略していった。…その他、その他。その結果、国際社会から大反撃をくらった。あげく、日本は負けた。軍事的敗北を押し付けられたわけだ。
国際社会は、次のように考えた。二度とアジアを戦乱の渦にたたきこんではならない。日本国民は、戦争好きの、とんでもない民族では、けっして、ない。日本が侵略ばっかり繰り返していたのは、一部の財閥と貴族が好き勝手できる政治構造に問題があったから。国民に自由と権利がなかったから。日本が平和国家になるために、日本国民に自由と民主主義を与えよう。そうすれば、賢明な日本民族は、二度と政府に侵略戦争を許さないだろう。このように判断したのだ。
そこで、政府や財閥の権力を制限し、国民に自由と民主主義と平和を保障する憲法を、権力者に対して「押し付け」たのだ。憲法は軍国主義者や財閥や貴族たちに押し付けられたのだ。
押し付けられた中身は、国民の自由と権利。そして平和主義。国民はこれを歓迎した。結構なことではないか。これを変えたいというのは、国民から自由と権利を奪うため。平和主義をなくすためだ。だれのために。自分たち権力者のために、である。そんなもくろみに、どうして我々が同意しなければならないことがあろうか。
憲法を変える必要、まったくなし。
て、ことで、今朝は神戸で朝ビラ行動。いつもより早い電車で書きました。