非武装論について思うこといろいろ

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私は憲法擁護論者なので、その点において非武装論者と立場を同じくするものです。
同時に専守防衛論者なので、非武装論に与することはできません。
しかしいま緊急の課題は改憲政党の圧力から憲法を守ることなので、非武装論批判はなるべく避けています。
ですので相手の日記にまで出掛けていって非武装論を批判することはしませんが、私の日記で自分に対して非武装論の正当性を説かれると、見過ごしにはできません。
(専守防衛ですw)

別の日記でまーくさんからその点につき挑まれた(と言うほどでもないんですけど)ので、私の意見を最低限度に述べて見たいと考えます。

元の日記「歯車の音」(2009/8/15)
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■戦争はなぜ起きるのか 一つの要因

軍事アナリスト江畑謙介さんの言葉を借りれば、戦争は、常につぎのように説明されてきました。

自分の国から見ればその正当性に何一つ疑問のない権利を、他の国や勢力が武力を持って奪おうとするか、ないしはこちらの正当な要求に武力をもって抵抗するため、やむを得ずこちらも武力を行使せざるを得ない。

日本にとって侵略と見える相手国の行為も、相手国から見れば侵略ではなく、正当な権利の行使あるいは回復なのです。日本から見ればまったく正当な自国利益があっても、相手国の立場でみれば不当な独占であり、権利の侵害なのです。日本が防衛行動だと信じていても、相手からは侵略ないしは不当な抵抗なのです。相手国が正当な権利の行使だと信じていても、日本から見れば侵略なのです。どちらも正当な権利の行使あるいは権利の回復だと思っているから、交渉で直ちに解決できるものではありません。

■具体例で考える 尖閣諸島のこと

例えば尖閣諸島はどうでしょう。

中国はそこが中国領だと言っています。大昔から澎湖列島の一部として釣魚台と名前をつけていたし、だいいちそこは中国の大陸棚にあるのだから、中国領に決まっていると言うのです。日本が尖閣諸島を領有している現実は、日本の我々からすれば当然のことですし、そのことが侵略だなどとは考えてもいません。しかし中国に言わせれば、自分の正統性に何の疑いもない領土を、日本に奪われた状態が続いていることになるのです。日本の実効支配は明らかな不当占拠であり、いまだ精算されていない侵略戦争のつづきなのです。

これを日本の側から見れば、もともと誰のものでもなかったそこを1895年に日本が国際法に則って領有したのだから、中国の言い分は受け入れられないし、中国は近年になって始めて自国領土だと言いだしたが、それまでは何も言っていなかったじゃないかということになります。このように日本は国際法ルールを主張の根拠にしています。

中国はそこが大陸棚だというのは人類以前から続いている事実であって国際法など持ち出すまでもないし、当然の自然的領域についていちいち中国領だと宣言しなければ他国のものになるという日本の理屈は帝国主義の論理だと言います。歴史上の実績としてもそこで漁労を営んでいたのは中国人であって、仮に国際法を日本が援用しているのが事実であるにしても、中国のあずかり知らぬところで西洋が勝手に作った大国有利のルールを利用しているだけで、中国はその通告さえ受けていなかったのだから、日本の言い分はまったく道理がないと言います。

これで分かるように、双方が正統性の根拠としているのは、国際法的根拠と自然地理的根拠というまったく違うカテゴリーです。これでは論理的に対話しても合意に至るはずがありません。

この認識の対立があるのに武力衝突に至らないのは、正当な権利の回復ができないほどに日本の武力が強いからだというのが中国の認識です。不当占拠されているから権利を回復したいのに、自衛隊がいるから手を出せない。これを日本の側からみれば、自衛隊の抑止力が発揮されていることになります。

■軍事力がなければどうなるのか 2つのケース

日本に軍事力がなければどうなるのか、それを示す例があります。

竹島は日韓両国が自国領土だと主張しています。詳しくは触れませんが、どちらにもそれなりに言い分があります。日本は韓国に不当占拠されているといい、韓国は正当な領土権の行使だと言っています。千島もそうです。日露どちらにも言い分があります。

この2つが実効支配されてしまったのは、日本の軍事力が崩壊している時期でした。日本の防衛力が健在であったなら、こんなことになっていなかったはずです。これらについて日本は権利回復したいのですが、相手国が軍事力で防衛しているからそれができません。

不当占拠されているけれど、いまさら武力で奪還することはできないというのが日本の認識であり、相手から見れば軍事力が日本の不当な要求を許さず、実効的に抑止力を発揮しているということになります。

話し合いで解決しないのなら、力ずくで……というのが直ちに侵略だと判定できるなら簡単なのですが、そうも言えないわけです。そういうのを判定の根拠にしたら、日本は尖閣諸島を現在ただいまも侵略していることになってしまいます。

どちらがどうと明確に決着はつけられないけれど、話し合いで解決しないなら力ずくで……という誘惑を抑止するもの。それが軍事力なのです。

■経済共同体は軍備を不要にするか

いずれ東アジアが経済的共同体圏になって経済的対立が解消すれば、軍隊はいらなくなる。だから安全保障を軍備に頼らず、経済共同体構想の実現に外交力を発揮すべきだとまーくさんは言います。

しかし、その交渉のためには、軍事力の担保が不可欠です。

交渉を成功させるには、合意が成立するまで何があっても武力衝突を回避しなければなりません。

領土問題も相互に棚上げにしなければなりません。武力衝突はお互いのためにならないから双方が控えようという言い分なら、現実としてその通りだし、それしかないし、お互い様だし、中国も飲めます。

しかし日本に軍事力がない状態で中国に尖閣諸島の領有権行使を控えろと要求するのは、それは中国からすれば、不当な日本の要求に対して一方的に譲歩せよと求められているのと同じことですから、飲めるはずがありません。日本は虫の良いことを言うなと中国は言うでしょう。またそう言わないような政府なら、国民が愛想を尽かします。お互い様にするには、日本も実力を持たなければならないのです。

ヨーロッパは経済共同体を実現していて、だから戦争をしないじゃないかともまーくさんは言います。たしかにヨーロッパは共通の通貨を発行するなど緊密な経済共同体を作りつつあるし、長い間戦争をしていません。しかし、軍隊を捨てた国は一国もありません。軍事力の均衡があるからこそ、相互に妥協しながら共同体づくりができるのです。そのバランスが崩れれば、たとえばボスニアとセルビアのように戦争になるのです。

■軍事力の果たす2つの役割

軍事力は侵略の道具にもなりますが、抵抗の道具にもなります。しかしその区別さえ、上記のごとく判定が難しいのです。まして有用か無用かの二者択一の議論は、軍事力を語るには不適切です。要はその用い方であって、危険だからなくしてしまえという議論は乱暴です。

火は火事のもとだしコントロールを失うと極めて危険ですが、だからといって火をなくしてしまうと、寒さに耐えて生きることができなくなってしまいます。屋根が大きすぎると家が潰れてしまいますが、屋根がなければ天露をしのげません。

軍事力がない方がよいのは言うまでもありませんが、現実として力の外交が幅を利かせている以上、なくしてしまうのは危険です。それは裸の赤ん坊をライオンのおりに放り込むようなものです。

■具体例で考える

世界中の植民地が、自分たちの武力で宗主国を追い出しました。もしもベトナムに軍事力がなければ、今頃はまだフランスの植民地かも知れません。

南米の自立の精神を学べとまーくさんは言います。しかし彼らの精神的バックボーンは、サン・マルティンやファラブンド・マルチなどが展開した対ヨーロッパ武装闘争の歴史なのです。

軍事力がないか、あっても極めて弱体だったがゆえに、クウェートはイラクに侵略され、ボスニアはセルビアに痛めつけられ、クルド人やチベット人は弾圧され、オセチアはグルジアに、パナマとグレナダはアメリカに攻め入られ、チリのアジェンデ政権は潰され、ニカラグアとエルサルバドルの革命は奪われ、フィリピンとベトナムは中国に領土を奪われたのです。

国内に2つ以上の対立勢力がある場合、力の均衡が破られれば悲惨な内戦となります。これはどちらが正しいかという判定とは無関係に、現実としてそうなるということであって、そうならないためには抑止力としての武力を持つしかないのです。

非武装論者は、上記の事態についてどう考えるのでしょうか。

■平和憲法が防いだのは日本の侵略であって、外国の侵略ではない

平和憲法は日本が外国に攻め入ることを防いできました。
しかし外国の侵略を防ぐ力はありません。
外国が日本国憲法を守らねばならぬ道理はないからです。
外国の侵略を防いできたのは、米軍と自衛隊の武力です。

これまでも韓国とソ連に漁場を奪われかけ、中国に尖閣列島を奪われかけ、沖ノ鳥島を荒らされかけました。それらの国々が途中で引き下がったのは、無理押しして軍事衝突に至る危険を回避するためでした。

■専守防衛が戦争を防ぐ

世界はけっしてお人好しではありません。けんかをしたくないのは誰しも同じですが、弱々しい奴は絡まれやすいのです。普段はおとなしくても、ケンカをふっかけたらキツい反撃が返ってきそうな相手には、乱暴者も手を出さないものです。つまり無抵抗主義は侵略を誘発し、専守防衛は戦争を未然に防ぐのです。

しかし武力の本質的危険性を知らない自民党は、火の危険性を知らないで花火を振り回す子どもみたいなものです。そんな奴にマッチを持たせるわけにはいかないので、私は批判しているわけです。