http://mixi.jp/view_diary.pl?id=649697404&owner_id=12631570
「人口20万人の南京市で、どうして30万人の虐殺が可能なのか」という論が時々あらわれます(しょっちゅうかな?)。
しかし日本の研究者で「30万人虐殺設」を採用している人はいませんので、この批判は的はずれです。
そのうえ、南京市の人口が20万人だったという根拠も薄いのです。中国では、ちゃんとした人口調査がされていないから、確定的なことを言えるはずがないのです。戦争前にはざっと百万人と言われていたようです。昭和13年の『文藝春秋』11月号とか、ベイツの手紙にその数字があります。
その後、戦火を避けて多数の市民が脱出していますし、逆に周辺地域の戦火を避けて南京市内に流入した人もいるので、南京戦当時に何人が残っていたのかは不明です。よく言われる20万人というのも根拠のない数字です。東京裁判でのマギー神父の証言では、「安全区に20~30万人超、安全区の外にはもっともっといた」そうですし。
あちこちで引用されている南京市長の手紙も、みんな誤読しているんですよね。
南京市政府(馬超俊市長)が国民党に送った書簡(37年11月23日付)
調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。
(笠原十九司『南京事件』)
11月時点では50数万人。20万人は「予想される難民の数」なんです。予想でしかないし、難民の数だから人口ではありません。ともかくこの手紙は3通りに解釈できます。
①50万人の内、市外に避難できず難民化して残るのが20万人(これなら市内人口20万人)
②市内に50万人が残り、そのうち20万人が難民化する。(これなら市内人口50万人)
③50万人に加えて市外から流入する難民が20万人(これなら市内人口70万人)
どれが正しいのか、この文脈では読みとれません。
では南京戦当時に、実際には幾人がいたのか。これは分かりません。安全区内には最低で20万人。安全区外を含めれば、さきほど書いたように最高で70万人というところですね。国勢調査みたいな人口調査をしていないから、誤差はかなり大きいです。戦後に治安が回復したので人口が増えたと言いますが、その数字も25万人と言ったり40万人と言ったり。
いずれにせよ、人口数字で何事かを語るには慎重であるべきというのが、私の考えです。