侵略戦争が非難されるようになった理由

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この日記は田母神錯乱作文についての私の日記
「田母神閣下についての長い考察(ほとんどタモさんの引用)」

田母神閣下の人気は鰻登りのようです(一部で)。 ミクシィにも↓このようなコミュがあるくらいです。 田母神閣下の出馬を悲願する連帯 閣下自身もご出馬の意欲は存分におありになられておられるようであります。 そのためにどこから票をもらうか...

に、ある人から次のようなコメントをもらったのがきっかけとなっています。

私は田母神氏の論文の「自虐史観に関する問題提起」ただ1点だけは評価できると思っています。この「自虐史観」に関して、話をしたいと思います。突然話は変わりますが、徳川家康という人物は殺人行為をした人間のクズです。彼の頭は狂っているのでしょう。しかし、この人物は「こども偉人伝」などには犯罪者ではなくヒーローとして書かれています。何故でしょう。もしそれが「その時代では普通だった」というような答えであれば、植民地が違法でない時代での植民地作成を正当化するのと同じです。ぜひ、この設問の答えを聞かせてください。

■自虐史観

自衛自衛と唱えている人というのは、結局「大東亜戦争は悪なのか?」「大東亜戦争は罪なのか?」という問いに対して、「自衛だったから悪くない」という論調だと思うのです。

結局は、村山首相あたりから脈々と引き継がれている超土下座外交(例えばインドネシアで元慰安婦に対する補償金に関してインドネシア自体からも馬鹿にされた等々)への反発だと思えるんですよ。

自虐史というのは、例えば「高校生の修学旅行で生徒約200人が土下座」
*http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k373.html

という所にも見え隠れします。ただ、この「自虐史観」はあちこちでいろんな人が言っていますが。そういう物に対する危機感だと思うのですね。

徳川家康たちは互いに侵略しあっていました。当時、彼らに殺された人々は口惜しかったでしょう。その遺族たちも、口に出したかどうかは別にして、哀しく悔しく、胸が張り裂けるようだったと思います。戦国時代の戦というのは人狩りが目的だったという研究が最近発表されています。いきなり襲われて身も知らぬ他国へ売り飛ばされ、酷使されたあげくにむなしく朽ち果てていった人々はどれだけの数にのぼるでしょうか。戦国武将を単に英雄として描くばかりでなく、そういう面からも描くべきではないかと私は思います。

世界はそういう残虐な行為を繰り返してきました。そしてその犠牲者の哭泣が顧みられることがありませんでした。けれど、いまは様相が変わりました。侵略戦争が英雄行為ではなくなり、不当な戦争として非難されるようになったのです。その理由はいくつもあるのでしょうけれど、大きな理由は2つではないでしょうか。

(1)戦争の被害が前時代とは較べようもなく大きくなった。

戦争の野放図な拡大を許すと、人類文明そのものが滅びてしまうかも知れないという恐れが現実のものとして立ち現れてきました。戦争が総力戦となり、戦争被害が兵士に留まらず広範な市民に及び、そして今日では無防備な市民こそが戦争の一番の被害者となっている現実もありますね。

(2)被害者たる市民が、国家の主権者の地位をかちとった。

いままで泣き寝入りしてきた市民ですが、戦争をやめてほしいという素朴な願いを国政に反映することが可能になりました。国際社会に戦争抑止を働きかける事もできるようになりました。いまや市民の声を政府も国際社会も無視することができません。

■取り組むべき課題には優先順位がある

こういうなかで、侵略戦争が非難されるようになり、いまもまだ戦争抑止に向けた取り組みが続いています。課題は山のようにあるのに、取り組む力には限りがあります。すべての課題に同時に取り組むことはできないのですから、課題に優先順位をつけねばなりません。

優先順位は、より喫緊の課題に与えられます。喫緊の課題が複数あれば、まずは手を付けやすい方から取りかかります。徳川家康をどのように表現するかよりは、現在進行中の課題が優先されます。日本の戦争が侵略戦争であったかどうかは現在進行中の国際法整備にとって重要な課題ですから、徳川家康の評価は後回しでいいと思います。

もしも徳川家康だって侵略者だったと訴えるのが重要だと思われるならば、kaimonobugiさんがそれに力を注ぐことに私は賛成です。そうではなくて、徳川家康だって侵略者だったのに非難しないのなら、日本の戦争だけ非難するのはおかしいというような論理で2つを対比なさるのなら、私は同意できません。それは前進を妨げる役割しか果たさないと思うからです。

■前進を妨げる考え方

いまも戦争についての議論は数限りなくあります。どんな戦争がやむを得ない戦争で、そうでない侵略戦争とはどういう戦争なのか。戦争を抑止する手段は武力しかないのか。法で戦争を禁止しても、それに実効性を与えるにはどのような方法があるのか。

まだまだ未解決の問題が数限りなくあります。いまだ戦争廃絶に向けての歩みは始まったばかりです。ですから、過ちや、思索不足や、いろいろな問題が山積しており、総論賛成各論反対なんてことは掃いて捨てるほどあります。しかしどれほど時間がかかろうとも、後戻りするよりは前に進む方がいいに決まっています。

未完成の理念につきものの様々な不十分さはありますので、批判も多かろうと思います。肝心なのは何のために批判するかです。あれこれと指摘して合意をうやむやにするためなのか、前進を止めるためなのか、それとも内包された矛盾を解きほぐして戦争廃絶に向けた新しい知見を打ち立てるためなのか。

家を建てるにはできるだけ正確に設計して、着実に組み上げるのが望ましいです。しかし現実に雨風にさらされているのなら、お粗末でも取りあえず組み立てて、雨風から身を守ってから改良すればいい。でもみんながそう努力している時にですよ。自分の出入りに便利だからと、ドアじゃないところに穴を開けようとする人がいるとします。みんなはそんなことをしたら雨や風が吹き込んで、家全体が壊れてしまうから止めろと注意します。

すると、その人がこう言い返すんです。「昨日までは雨に濡れ放題だったのに、みんなお互いに何も言わなかったじゃないか、それに較べればこんな穴ぐらいで文句言われる筋合いはない。それになんだ、まだまだ雨漏りもしているし、すきま風だってくい止めていないじゃないか、何で自分だけ非難されなければならないんだ」。こんなことを言う人は、願い下げでしょう?

■大東亜戦争は植民地に関するルールが確立する前の出来事であるという考え方について

(1)戦争の違法化の歩みは始まっていました。

1928年の「戦争放棄に関する条約」というのがあります。国家の利益増進を求めて行う戦争を禁止するというものです。現実には守られていませんが、そういう思想に到達していたのは事実です。

(2)法の根拠とは何か

ルール(法)が整備されていなければ何をしても許されるという考えは論者の倫理的退廃を示すものだと思います。法とは自然にできるものではありませんよね。法が整備される以前に規範意識があるからこそ、それが法として具現化されるわけです。形が現れるまでは規範がないのと同じという受動的な考えには同意できません。

戦前の日本は有色人種に対する差別に反対していたではありませんか。他民族に対する不当な取り扱いに反対していながら、自らの植民地支配を容認した日本政府は典型的なダブルスタンダードでした。