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少女に重圧、米兵釈放の背景
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「正義づらして周りが騒ぐからこんなことになる」という意見がある。そうか?
市民団体は被害者少女の身元をせんさくしたか? そんなことはどこの団体もしていない。それをしたのはパパラッチメディアだった。週刊新潮などはストーカーまがいの取材で、校区名まで掲載した。わかるひとには個人が特定できる記事だった。
いったい新潮は何がしたかったのか。その校区の人が少女やその親族にどんな目を向けたか。私の近くでこんなことが起きても、同様だと想像できる。「校区が恥をかかされた!」 それはすさまじい視線だったのではないだろうか。少女やその親族はいたたまれなかっただろう。
新潮が書く。産経新聞応援団のイザ!ブログが鳴り物入りではやしたてる。「新潮vs朝日」!などと騒ぎ立てる。これはそんなチンドン屋みたいな騒ぎようをする事件なのか。まじめに、真剣に考え追求するのではなく、騒ぎのネタにする。狂騒曲にしてしまう。ともかく事態をガチャガチャにしてしまって、事件の本質をうやむやにかき消してしまう。
同時に被害者をさぐり、つきとめ、ほとんど名指しのような扱いにして萎縮させ、地域の反発を誘導して孤立させる。嫌がらせを繰り返して、もううんざりという気にさせる。
これらはやくざの手口である。民事暴力のやり口である。法に反しないで抵抗力を奪う、じつに巧妙なやり口だ。
なんのために、こんなことをするのか。新潮はこれまで米軍基地に反対する運動をからかう記事をたくさん書いて来た。しかし米軍基地に疑問を呈する記事などまともに書いたことがほとんどない。産経ははじめから暴行犯罪と基地問題をリンクさせるのに抵抗していた。むしろ少女に責任があるような論説まで出していた。こいつらが組んだのだ。意図は明白ではないか。
日米安保体制を安泰に保つ、これがその意図だ。そのためになら、一人の少女に一生かかっても拭いきれないような傷を負わせてしまっても平気なのだ。なんという連中なのだろう。
事件は教育のせいだという人もいる。学校教育や家庭教育がなってないからだと、したり顔でいう。
米軍に「良き隣人作戦」というのがある。迷彩服の米兵と子どもたちがたわむれ、教室で米兵がにこやかに接する。米軍人と子どもたちに「ふれあい」の機会をもたせ、友達になって警戒心をなくさせて、反基地感情を骨抜きにしてしまおうという作戦だ。これに沖縄県や文科省が協力している。協力しているから迷彩服が学校現場に入れるのだ。こうして「気のいい軍人さん」イメージを子どもにインプットしてきたのが、基地存続を容認する体制側ではないか。地元沖縄の世論は抵抗したそうだが、行政権力により押し切られてしまった。
少女がやさしそうな軍人さんにまるで「お友達」のように接してしまった背景に、こういう教育がないといえるだろうか。事が起きてから「しつけがなってない」などとしたり顔でお説教を垂れる産経文化人たち。だが、彼らこそがこういう「良き隣人」を最も歓迎している事実を、説対に忘れないでおこうと思う。