http://mixi.jp/view_diary.pl?id=985974738&owner_id=12631570
日本の植民地経営が朝鮮人を幸せにしたのかという点につき書いてみます。
まさひろさんの意見
- 韓国併合なんですが韓国から日本が搾取したものは何ですか?
- 韓国を近代化するためにインフラ整備で日本が多額の投資をしたのはご存知?
- 貧窮していた農民の生活が向上したんだよ。
では一つずつ見ていきます。
■韓国から日本が搾取したものは何か?
以下は朝鮮半島の土地所有の変遷の一例です。
「全羅北道、五水利組合の土地移動」(単位は町歩)
1920年
日本人所有 3,674
朝鮮人所有 4,181
その他 2,694
合計 10,549
1931年
日本人所有 8,999
朝鮮人所有 3,545
その他 7,292
合計 19,836
(東畑精一「朝鮮米穀経済論」)
http://www.han.org/a/half-moon/hm023.html#No.187
ごらんのように日本が投資して水田を開拓したのは事実です。水田面積は2倍近くになっています。が、朝鮮人所有の土地は却って少なくなっています。「その他」というのは東洋拓殖会社のような法人所有の水田とか国有水田です。つまり「その他」は全部日本の所有です。こういうのを、搾取といいます。
日本の植民地支配を肯定する側は、日本が土地を収奪したというのはウソだといいます。しかし彼らがいうのは、「日本が政府所有地として収奪した水田は少ない」と言うにとどまり、土地所有の割合を挙げません。そういう資料にだまされている人は元資料を知らないのですが、統計数字を知っていながら都合の良い部分しか出さずに他人を煙に巻く知識人とは、一体何なのでしょうか。
■韓国を近代化するためにインフラ整備で日本が多額の投資をした?
インフラ投資をしたのは事実ですが、それは韓国を近代化するためではなく、日本の下請け国として工業化したというのが正しいですね。純生産物比(工業生産物/農業生産物)を見ると、1912年に5.8だった朝鮮は1938年に33.9になっています。
http://www.ier.hit-u.ac.jp/COE/Japanese/Newsletter/No.11.japanese/hyo2.htm
しかし1938年の日本は212.9です。朝鮮の工業化達成度は日本の日露戦争当時の水準です。大げさに言われるほどのものではありませんね。炭坑があり、鉄鉱石がある朝鮮半島ですから、やる気になればもっと伸びたはずです。しかし日本は朝鮮を食糧供給基地、原料供給地として確保しただけなんです。工業化は大して進まず、民族資本もあまりたいしたことありません。
もしも歴史修正主義派がいうほどに朝鮮の経済が伸びたのなら、日本へ移住してくる朝鮮人はもっと少なかったでしょう。水田を奪われた。なのに都会に出ても就職口がなかった。そこで、しかたなく日本や満州に移住したのが実態です。
■貧窮していた農民の生活が向上したか?
朝鮮人の生活は向上しているのでしょうか。
1931(昭和6)年、宇垣朝鮮総督が天皇に拝謁したときに語った言葉が伝えられています。
その二は、朝鮮人に適度にパンを与うることであります。朝鮮の富は併合以来非常に増加していますけれども、朝鮮の富が増加している割合には朝鮮人の富は増設致しておりません。今日なお生活苦に呻吟しておるものが相当多数存在致しております。
日本が収奪するための農業開発であり工業化だったので、朝鮮民族にはほとんど恩恵がなかったのです。
下の数字は一人当たりの米消費量(石)を表します。
最初の数字が年次、つぎが日本に対する輸出量、次が朝鮮人の消費、最後が日本人の消費を表します。
年 | 対日本輸出 | 朝鮮人1人当たり消費量 | 日本人1人当たり消費量 |
---|---|---|---|
1912 | 2,910 | 0.7724 | 1.068 |
1917 | 1,296 | 0.7200 | 1.126 |
1920 | 1,750 | 0.6301 | 1.118 |
1922 | 3,316 | 0.6340 | 1.100 |
1924 | 4,722 | 0.6032 | 1.122 |
1926 | 5,429 | 0.5325 | 1.131 |
1928 | 7,405 | 0.5402 | 1.129 |
1931-34 | 8,456 | 0.4059 | 不明(年平均)* |
資料は、飯沼二郎著『朝鮮総督府の米穀検査制度』(未来社)、ただし*印は『朝鮮米穀統計要覧』1936年版
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3500/1064589694/168
このように1人当たりの米消費量が減っています。こういうのを飢餓輸出といい、絶対的貧困といいます。
英国の場合、人件費の安いインド人を使ってインドで紡績工業を興しました。そのため英国内にインド製品が逆流し、英国本土の紡績興業が全滅してしまいました。同じ事が日本でも起きています。朝鮮から高品質で安い米を輸入したので国内市場で値崩れが起こり、農村が疲弊しました。そこで餓死、「娘の身売り」などが起こって5.15事件の引き金となり、「満蒙開拓団」を生む原因ともなったのです。植民政策が、さらなる戦争を呼び起こす要因となったのです。
しかし、です。人口が増えているじゃないかと言う人がたくさんいます。そこでそれも調べましょう。よく用いられるのは下の数字です。
1753年 730万人
1850年 750万人
1906年 980万人 朝鮮は日本の保護国へ
1910年 1,312万人 日韓併合条約
1920年 1,691万人
1930年 1,968万人
1940年 2,295万人
1945年 2,512万人 日本の敗戦
http://www.geocities.jp/kankokuchousen/kankoku-003.html
このうち、1906年までの統計は正確ではないので省きます。1906年から1910年までの4年間で人口が300万人以上増えるはずがない。1906年までの数字が低いのは、これは女性が漏れていたり、被差別民が漏れていたり、また税を徴収するための調査なので家族を隠したりしているからです。
そこで1910年からの数字が正しいと信じて計算します。1945年までの35年間で人口は1.9倍。年平均増加率は1.2%です。普通の数字です。
ところで、「人口が増えたから善政だった」「欧米の植民地政策と比べれば日本のは善政だった」という2つを整合させるには、「欧米の植民地では人口増加が少ない」という事実が示されねばならないはずです。では見てみましょう。
フィリピン(アメリカ)
フィリピン政府の国勢調査のデータを示します。
1903年 760万人
1939年 1,600万人
http://www.census.gov.ph/data/papers/Senior_Citizens.doc
計算すると年平均増加率は2%です。おや? 朝鮮では年平均増加率は1.2%でしたよね。じゃあアメリカのフィリピン支配の方が良かったんでしょうか。それなら何もわざわざ日本が「解放」しに行かなくても。
ラオス(フランス)
1912年 649,600人
1940年 1,078,000人
http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/fawg/France/france%20date.html
計算すると年平均増加率は1.8%です。ラオスはちっとも工業化されなかったんですけど、朝鮮と変わりません。ここもわざわざ「解放」に乗り出していくほどのことはありません。
このように見てきた結論は、日本の植民地統治は全然善政じゃないし、他国のやり方ともあんまり違いはないということです。そりゃそうです。それが植民地というものなんです。そしてこういう事どもの総体を、侵略というのです。