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戦前の報道の自由に関してですが、1937年7月の蘆溝橋事件をきっかけに、「新聞紙法」第二七条が相ついで発動されました。
この法律は、軍事・外交関係の記事はあらかじめ陸軍・海軍・外務各大臣の許可をえたものしか掲載できないというものです。新聞記事は細部に至るまで検閲されました。検閲を担当したのはもともとは内務省だけでしたが、その他に「陸軍省新聞班」(のち「情報部」)、「海軍省軍事普及部」、「外務省情報部」などが続々とつくられて、にらみを効かせました。
内務省警保局が警視庁特高部長・各府県警察部長あてに送った通達「時局に関する出版物取締に関する件」の一部を略載します。原文は固いので、平文に直します(末尾に原文も示します)。
「現下の情勢に鑑み特に取締を要すると認められる事項」
北支事変に関する一般安寧禁止標準
- 日本の対外方針に関し政府の意見が割れているというような記事は禁止。
- 国民は政府の対外方針を支持していないという記事は禁止。
- 民心が挙国一致していないような記事は禁止。
- 国民は自発的に中国と戦いたがっているという記事はよし。
- 国民は戦争を恐れているとか、避けたがっているという記事は禁止。
- 国民の世論は政府につくられた声だという記事は禁止。
- 政府のとってきた対中方針や戦争指導が根本的に間違っているという記事は禁止。
- 国論統一に支障をきたす記事は禁止。
- 対外関係を不利に導くような記事は禁止。
などなど。こういう記事は一切載せることができなくなってしまったのです。ひどいものですね。
どんな記事が禁止になったか、たとえば38年5月に、「東京朝日」「報知」など40紙が発売頒布禁止となりましたが、その理由はなんと「近衛内閣の改造についての予測記事をのせた」ということでした。こんな記事を印刷しただけで、発売禁止とされたのです。これでは独自記事など書けるはずがありませんね。
南京事件から3年後、日本軍は中国の軍閥の親玉を首班にして、政府をでっち上げました。北京城の中にしかその威光が及ばないという意味で「城内政府」と揶揄された汪精衛政府です。この政府ともいえない政府について記事を書くさいにこんな注意をせよという「支那中央政府成立に関する新聞記事取扱方針」というのがあるので、紹介しておきましょう。
新政府の成立はあくまで支那側自体の自発的創成に係(かかわ)り、我が方の工作により樹立せらるるものなるがごとき印象を与えざるよう厳重注意すること。
汪精衛の人格・識見、および青年層における声望、ならびに同志の団結力および活動力等、汪政権の強靭性に関する報道の紹介に努め、その一面の脆弱性についてはなるべく触れざるよう留意すること。
日本の工作でつくられたことは書くな。
その政府が脆弱であることは書くな。
語るに落ちるとはこのことですよね。
【資料】
「時局に関する出版物取締に関する件」原文
一、我国の対外方針に関し政府部内特に閣僚間に於て意見の対立し居れるが如く揣摩臆測する論議、
二、国民は政府の対外方針を支持し居らずあるいは民心相離反して国論統一し居らずとなすが如き論議、
三、国民の対支強硬決意は当局の作為により偽作せられたるものにして国民の真意は戦争を恐怖しまたは忌避せんとするの傾向ありとなすが如き論議、
四、政府のとりきたりたる対支方針もしくは事変の経過等を批判するにあたり根本的に誤謬ありとなしあるいは事変を歪曲して殊更に非難しもって国論統一に支障をきたしあるいは対外関係を不利に導くが如き論議
以下は『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動』(法政大学大原社会問題研究所編著)より。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-187.html
四一年一二月、真珠湾攻撃の翌日、情報局における非常召集の「懇談会」において、警保局図書課から左のような「記事差し止め事項」が発表された(畑中繁雄のメモによる)。
○一般世論の指導方針として
一、今回の対米英戦は、帝国の生存と権威の確保のためまことやむをえず起ち上った戦争であると強調すること
二、敵国の利己的世界征覇の野望が戦争勃発の真因であるというように立論すること
三、世界新秩序は八紘一宇の理想に立ち、万邦おのおのそのところをえせしむるを目的とするゆえんを強調すること○具体的指導方針として
一、わが国にとって戦況が好転することはもちろん、戦略的にも、わが国は絶対優位にあることを鼓吹すること。
二、国力なかんずくわが経済力に対する国民の自信を強めるよう立論すること、しかして、与国中立国はもとよりとくに南方民族の信頼感を高めるよう理論をすすめること
三、敵国の政治経済的ならびに軍事的弱点の暴露に努め、これを宣伝して彼らの自信を弱め、第三国よりの信頼を失わしめるよう努力を集中すること
四、ことに国民の中に英米に対する敵愾心を執拗に植えつけること、同時に英米への国民の依存心を徹底的に払拭するよう努力すること○この際とくに厳重に警戒すべき事項として
一、戦争に対する真意を曲解し、帝国の公明な態度を誹謗する言説
二、開戦の経緯を曲解して、政府および統帥府の措置を誹謗する言説
三、開戦にさいし、独伊の援助を期待したとなす論調
四、政府と軍部との間に意見の対立があったとなす論調
五、国民は政府の指示に対して服従せず、国論においても不統一あるかのごとき言説
六、中満その他外地関係に不安動揺ありたりとなす論調
七、国民の間に反戦・厭戦気運を助長せしむるごとき論調に対しては、一段の注意を必要とする
八、反軍的思想を助長させる傾きある論調
九、和平気運を助長し、国民の士気を沮喪せしむるごとき論調(対英米妥協、戦争中止を示唆する論調は、当局の最も忌み嫌うところである)
十、銃後治安を攪乱せしむるごとき論調一切『日本労働年鑑 特集版 太平洋戦争下の労働運動』(法政大学大原社会問題研究所編著)労働旬報社
第一章 言論・出版・学問研究にたいする弾圧
第三節 新聞・放送・映画・芸能統制