主任弁護士のみっともない論述 大江・岩波沖縄戦裁判

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編集注:以下は否定派の弁護士が●●の判決に対して発表した見解。

小田判決の功罪──「神話の証明」と「中東の笛」
弁護士 徳永信一
*http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/72/

小田耕治裁判長による高裁判決は、梅澤さん、赤松さんを敗訴させる不当なものでしたが、沖縄集団自決の真実をめぐっては、特筆すべき前進もありました。

周知のように、この裁判の最大の争点は、日本軍の隊長より発せられた「自決命令」の真実性でしたが(*1)、小田判決は、かつて通説だとされていた「自決命令」の真実性が揺らぎ、現時点では「真実性の証明はない」ことを明確に認めています。

日本軍による自決命令は文字どおり神話であったことが証明されたのでした(*2)。命令を「住民への直接命令」と狭く限定したうえで、「証拠上からそれを認定するのは無理がある」とした。

*どろコメント1──自分たちが裁判所に申し立てた争点を勝手に変えないように。申し立ては「名誉毀損」でした。だったら争点は「過罰性のある名誉毀損にあたるかどうか」に決まってます。

*どろコメント2──デタラメです。判決は、こう述べています。

(ア) 総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る。
(イ) 直接住民に対してこれを命令したという事実に限れば,その有無を本件証拠上断定することはできず,本件各記述に真実性の証明があるとはいえない。
(ウ) しかし真実でないことが明白になったとまではいえない。「命令した証拠がない」=「命令がなかった」というのは拡大解釈です。日本軍の命令については「そうとも言える」と、私たちの考えを認定しているのです。むしろ「神話だ」という主張を退けているのです。

「神話の証明」にもかかわらず、敗訴したのは、控訴審が、これまでの最高裁判例の基準、すなわち名誉に関する著述の公表には真実性がなければならないとしていたルールを変えてしまったからでした。(*3)

いわば司法における「中東の笛」です。なんとしても大江・岩波を負けさせるわけにはいかないという戦後民主主義の執念のようなものを感じました。

*どろコメント3──嘘です。名誉に関する著述の公表には、真実の証明は必要でなく、著者が真実と信じた根拠が相当であればよいというのが、確定した判例です。だからその後の繰り言は妄想であって、民主主義を否定せずばおかないという執念のようなものを感じます。

小田判決が持ち出したルール(基準)は、出版当時、真実だと信じるにつき相当な理由があれば、その後、真実性が揺らいでも、真実でないことが明白とならない限り、出版の継続による不法行為は成立しないというものでした。(*4)

*どろコメント4──正しい見解です。

これまでの最高裁の基準は世間から殺人を疑われた人に無罪判決が下った場合、その後に彼を殺人者とする著述の公表は許されないが、判決以前から販売されていた書籍であれば、その後も大々的に出版を続けてもかまわないというものです。(*5)

*どろコメント5──まったく間違っています。裁判所が言っているのは「高度な公共の利害に関する事実に係り、かつ、もっぱら公益を図る目的で出版された書籍について」、特に「公務員に関する事実」について述べているのです。一般的な殺人事件で後に無罪がはっきりした場合でも、その人を犯人扱いした記事が掲載されている新聞の縮刷版が発行され続けています。それはそういう報道の事実を消し去ることの方が「公共の利益」や「公益」に反するからです。

これまで最高裁が否定し続けてきた米国の「現実の悪意」の法理を実質的に取り入れたものといえるでしょう。最高裁では、このルール(基準)の当否が審理されることになりますが、それが最高裁判例違反であるばかりでなく、著しくバランスを欠いたものであることは誰の目にも明らかです。(*6)

*どろコメント6──全くの言いがかりであり、まともな法曹なら相手にしないでしょう。

最高裁に良識があれば、小田判決の破棄差し戻しは必定です。(*7)

*どろコメント7──最高裁に良識があれば、控訴棄却は必定です。