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沖縄集団自決の大江氏賠償訴訟、体験者「軍命あった」証言
読売新聞 2007/9/11
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右寄りの側から、近頃こんなことを言う人が出てきた。
「軍命によって自決したのだと沖縄県民が言うのは、それで補償金がもらえるからだ」
「金目当てで、軍人に責任を転嫁しているのだ」
「軍命はなかった(命令もないのに、県民が勝手に自殺したのだ)」
……なんと心ないことを言うのだろうか。
沖縄県民の集団自決は軍命があったからだ。当たり前だ。当時の状況からして、軍命はあったと思う。
しかし私は、軍命がなかったとしても、それがどうしたと思うのだ。暴論かも知れないが、紙に書かれた軍命があろうがなかろうが、そんなことは本質的問題ではないと私は思う。なぜか。
沖縄は県民の4人に1人が亡くなるほどの被害を受けた。軍民一体となって戦った結果だ。軍司令官もつぎのように書いている。「沖縄県民かく戦えり。後世特別のご高配賜らんことを」と。
ところが戦後、沖縄はどうなったのか。「ご高配」どころか米軍に支配されて苦労のしどおしだった。いまも基地の重圧に苦しんでいる。
苦労した軍人には恩給がつく。しかし同じように苦労し、県民すべてが軍従属者として働いたのに、日本の法令では軍従属者にはなんの保障もない。生き残った県民にせめて補償金を支払うぐらいのことで、何をグダグダ言っているのか。
すると、こういう人がいる。軍命を下していないのに下したと言われ、あたかも県民を道連れにしたかのように思われている軍人の名誉はどうなるのか、と。
しかし命令を下したとされる指揮官にしても、それは個人的行為ではなかろう。当時の政府が「一億総玉砕」と鼓舞していたのに忠実だっただけなのだから。責任は大日本帝国政府にあるのだ。国家方針に従った軍人個人の名誉が傷付くはずがないではないか。
戦争を知らない人間がほとんどになった今を見計らって、沖縄県民の苦闘をヤミに葬ろうとする動きは許し難いと思う。
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太田中将の電文内容
「沖縄県民斯く戦へり」