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憲法集会が忙しくて書けなかったことを書きます。
いつも紹介している自衛隊専門紙『朝雲』が、田母神元空幕長を批判しています。村松栄一氏が読売新聞に投稿した記事を紹介するかたちでの批判ですが、明らかに田母神発言に対する自衛隊内部の不満を吐露しているのです。
投稿した村松栄一氏は、元陸上自衛隊西部方面総監です。期せずして航空の元トップと陸上の元上層部との対決となっています。また戦争を経験していない防衛大学校出身者である田母神さんと、戦争を経験した陸軍士官学校卒業生である古参幹部の対決でもあります。
田母神氏はこう言います。
「日本は侵略などしたことのない『良い国』である。これを否定すれば、自衛官が国防に命をかけることができない」
これに対して、村松さんは批判します。
「それでは、歴史の評価が定まるまで国防ができないことになるではないか」と。
さらに、「日本は道徳が退廃して守るに値する良い国でなくなったと思えば、自衛官はそんな国を守る気になれないのか」と。
村松さんは「良い国」だから守るとか「悪い国」だから守らないとか、そういう問題なのかと問うているのです。
この論戦について朝雲はこう書きます。
自衛隊反対の相手に向かって、「自衛隊反対を含めて国民の自由を守るのが自衛隊だ」という自衛官の声を聞いたことがある。
反対者も国民である以上、守るのは自衛隊の任務だ。
それが民主主義の原理、これが国防の根源ではないのかと説くのです。批判が多いからやってられねえというのが田母神さんですが、批判があるのが民主主義である、そしてそれを守るのが自衛隊の使命である、「歴史認識」なんぞでこの原理が揺らぐはずがなかろうと。
私はこの意見に全面的に共感します。
田母神さんが更迭されたことを、言論弾圧だと息巻く向きがありますが、この意見にも村松氏は反論します。問題は、組織のトップが進んでルールに反し自説を展開したところにあると。組織人たる以上発言に制約があるのは当然で、自由に発言できないのは自衛官だけではない、と村松さんは語ります。当然の見解です。
朝雲は村松さんの側に立っています。
そして結論はこうです。
政府は形式的なことばかり言うが、そんな問題かと。
田母神さんはそもそも民主主義国の「軍人」として間違っているのではないかと。
田母神さんは軍人失格であると言ったも同然で、最も厳しい批判であると私は思います。自衛隊を否定する論理に立って田母神さんを批判したって、田母神さんは痛くもかゆくもありません。アイデンティティが違うのですから。しかし村松さんと朝雲の論理は、田母神さんを困惑させるでしょう。
私の反戦論理は自衛隊合憲論の上に成立していますが、これこそが右翼軍国主義者にとって最も打撃となるはずだという確信が、一層深まった記事でした。
正しい意見にまとわりつくネトウヨのイメージ写真
朝雲寸言(2009/4/16付)
4月7日付読売新聞に、元陸上自衛隊西部方面総監の村松栄一氏の寄稿が掲載された。その中で氏は「田母神論文」について、大きく二つの点をあげて批判している。
第一に、田母神氏が「日本が侵略などしたことのない『良い国』であることを否定すれば、自衛官が国防に命をかけることはできない」と主張するのに対して、それでは、歴史の評価が定まるまで国防ができないことになる、と批判する。さらに、今日の日本は道徳が退廃し、守るに値する「良い国」でないと思えば国防は成り立たないと述べ、国防の根源は「歴史」ではなく、自らの国は自ら守るという民主主義の原理だと説く。
かつて、自衛隊反対の相手に向かって、「自衛隊反対を含めて国民の自由を守るのが自衛隊だ」という自衛官の声を聞いたことがある。競争万能、格差社会の風潮の中で、我々は、批判者を敵視する善悪二元論に陥っていないだろうか。反対者も国民である以上、守るのは自衛隊の任務だ。
村松氏があげる第二の点は、組織のトップが進んでルールに反し自説を展開したことだ。氏は、組織人たる以上発言に制約があるのは当然で、自由に発言できないのは自衛官だけではない、と言う。
陸士59期出身の村松氏の所論には、民主主義下の軍人の根本的な人生観が見て取れる。政府は、田母神問題に関し「ルール違反」のみを重視しているが、「軍人」のあり方を考える必要はないのか。