なぜ生きづらい? この“自由”な日本で

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来年1月30日、姫路で小さな集会を開きます。
「なぜ生きづらい この“自由”な日本で」

日本トムソン姫路工場の派遣切りをきっかけに始まった派遣切り反対の運動の中から、労働組合運動だけにまかせてはいられないとして、市民運動として「反・貧困」に取り組もうという声が上がりました。こういう取組は、姫路では初めてです。

もともとは「文化9条の会」のイベントとして企画されたのですが、映画サークル、キリスト教会、炊き出しグループ、労組、市会議員などが集まって、実行委員会形式でやろうということになりました。ゆくゆくは「反・貧困ネットワーク」に発展させるつもりです。

その集会の企画のひとつとして、映像ルポを上演することになり、求められて原稿を書きました。まだ推敲途中ですので、いろいろなご意見を頂ければ有り難いと思います。

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タイトル未定

昨年、政権交代したばかりの日本政府から、一つの驚くべき数字が発表されました。
相対的貧困率です。
これまで幾度も公表を求められていたのに、けっして表に出さなかった数字です。
発表された数字に、国中がどよめきました。

相対的貧困層15.7%

日本は、6世帯に1世帯が貧困層でした。
先進国の中で、アメリカに次ぐ、世界最悪の数字でした。

貧困大国ニッポン

これが、政府がひた隠しにしてきた、日本の本当の姿でした。

ハローワークに群れを成す失業者

炊き出しに列をつくるホームレス
たった一人の求人に押し寄せる何百人もの求職者
住む場所を失いネットカフェで暮らす若者たち
お風呂に入れず異臭を放って学校に来る子どもたち
給食のない夏休みに栄養失調に陥る小学生
生活保護を断られて餓死する人々
人生に絶望して自殺する人 3万人

これが21世紀の日本の姿です。
こんな日本になることを、誰ができたでしょうか。
今から3年半前の2006年6月、一人の大臣がこう語りました。

「社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはない」

語ったのは、当時の総務大臣、竹中平蔵氏です。
小泉純一郎元首相も、国会で堂々と述べました。

「格差が出るのは別に悪いことではない。」

彼らは政府の調査結果を知っていました。
貧困律の急激な上昇を承知していました。
しかし、それを国民に公表することを拒み、このように語っていたのです。
そして彼らは社会保障を切捨てました。
派遣労働を解禁し、数百万人の若者を弱肉強食の労働ジヤングルに追い立てました。
なんと無情・冷酷な政治でしょうか。

日本をおおう貧困化の波は、自然現象ではありません。
派遣会社に登録している若者の自己責任でもありません。
これは、「政治災害」なのです
派遣労働を解禁するとき、政府はなんと言ったでしょう。

会社にしばられるのはもう古い!
個人のライフスタイルに合わせた柔軟な働き方をしよう!
あなたらしく生きよう!
3カ月フルタイムで働けば、1カ月は海外でロングステイしようじゃないか!
週のうち3日だけ勤務し,残りは趣味や社会貢献に生きようじゃないか!
通勤ラッシュにもまれるのは、馬鹿馬鹿しいじゃないか!
欧米型の働き方にシフトしようじゃないか!

政府の諮問機関がバラ色の派遣生活を描きました。
週刊誌が持ち上げました。
テレビがはやし立てました。
派遣会社の社長が時代のニューヒーローになりました。
フリーターがカッコイイ働き方だと思わされました。
若者は派遣へ、派遣へと誘導されました。

しかし、これらは、すべて、でたらめでした。
国をあげての大嘘でした。
数々の言葉がガラクタとなり 疲れ切った派遣労働者の群れが残りました。
いま彼ら派遣労働者が自らをあざけるつぶやきが ネットに流れています。

音もなく 一握の砂 こぼれゆく
学歴を つけてはみても フリーター
俺なんか ましな方だと 自己欺瞞
賃下げは 死刑宣告 母子家庭
連帯を 忘れていたと 気づく今

東京の派遣村に救いを求めて集まった若者に、政治家たちが言いました。

「働く気がないからそうなるんだ」
「いい年をして貯金一つしていないのか」
「安易に派遣なんかを選んだお前の自己責任だ」

ふざけるな! と私たちは怒らねばなりません。
そして若者に語りかけねばなりません。
君は悪くない。
君のせいじゃない。
自己責任なんかじゃない。
こんな社会を作った奴が他にいるのだ。と。

2009年9月。
日本トムソン姫路工場で働く若者が、一斉に首を切られました。
彼らにとって、その年、2度目の首切りです
派遣社員として働いていた彼らは、2月、一度首切りを通告されました。
彼らは労働組合とともに闘い、会社の違法な契約を暴きました。
労働局は若者たちの訴えを認め、日本トムソンに正規契約をするよう勧告しました。
会社は違法契約を認め、若者たちを直接雇い入れると言いました。
3月、日本トムソンは若者たちと直接契約をしました。
ただし半年間だけ雇う、期間労働者として。
それから半年。
期間が満了したとして、日本トムソンは全員の首を切って捨てたのでした。
いま若者たちは、会社を相手に裁判を起こして闘っています。

一人の若者は裁判でこう述べました。

私には今年小学1年生になる長女がいます。妻と娘の生活が私にかかっています。首を切られて、どうやって小学校の入学準備をすればいいのですか。
別の会社で派遣社員としてフォークリフトを運転する仕事をしていた私を引き抜いたのは、会社じゃないですか。真面目に勤めれば正社員への道が開けていると言ったのは会社じゃありませんか。
契約書には「期間満了後正社員として採用されることもある」と書いてあるではありませんか。
私のなにが悪いというのですか。一度でも遅刻しましたか。一度でも欠勤しましたか。6回も契約を更新したではありませんか。技術を身につけたからと手当も増やしてくれたじゃありませんか。
期待だけさせて、正社員をエサに黙々と働かせて、もういらなくなったから明日から来なくていいなんて、それは酷いじゃないですか。

別の青年はこう陳述しています。

私の契約が切られるというのはどういうことだか分かりますか。
私は定年を迎えた母と姉の3人暮らしです。十数万円の手取り給料のうち、毎月10万円を家に入れてきました。それがいきなりなくなるのです。どうやって暮らせばいいのですか。
会社は、もう来なくていいと言えばそれですむのですか。その日の気分次第で働いたり働かなかったり、私たちにはそういうことは許されません。当たり前のことです。
けれども会社は自分の都合で雇ったり、もういらないと言ったり、どうしてそんなことが許されるのですか。どうして当たり前のことが、会社には通用しないのですか。

独身の青年はこう書いています

私は高校を卒業後、正社員として就職しましたが、仕事中に過労で倒れて入院し、退職を余儀なくされました。
つぎに就職したのは派遣会社です。派遣会社の名前は何度も変わりましたが、派遣先は一つでした。
しかし2年間働いたその工場は倒産してしまいました。
こんなことを繰り返していても仕方がない、今度はちゃんと正社員になれる所で働きたいと考え、選んだのが日本トムソンです。
なんとか認められて正社員になろうと努力して技術を磨き、技能手当を支給されるまでになりました。正社員と同じ所で同じように働きました。3年観張れば正社員への道が開けると聞いていましたが、3年目に入った9月、もう来なくていいと言われたのです。
2年間、積み上げてきた技術や経験は、全部無駄になりました。私の2年間、これは一体何だったというのですか。

またある青年は陳述します。

私には婚約者がいて、2人で暮らしています 一緒に暮らしていながら婚約者のままで、結婚しないのがなぜか、分かりますか。半年や3年先のことが分からないからです。将来が何も見えないのに、どうして結婚ができるというのですか。
私は日本トムソンで4年以上働きました。あるときは君は派遣労働者だと説明されました。あるとき、請負契約になったと告げられました。何が変わったのでしょう。何も変わりません。私を扱う書類が、机の上で書き換えられただけです。
私は毎日休むことなく出社し、ボール盤を使った穴空け作業を続けていました。「優秀な社員は正社員に登用することがある」。そう謳ってある契約書を信じて、機械操作を身につけ、人を指導できるほどになりました。そうしたある日、もう君は不要だと言われました。
ぼくたちは機械の部品ですか。取り替えの利く便利なロボットですか。違います。好きな人と2人で幸せな家庭生活を作ることを夢見ている、血の通った人間なのです。平凡な結婚を夢見ることは、私にとってぜいたくこなことなのですか。

政治家は言います、「働く気がないからそうなるんだ」と。
彼らは働く気がないからこんな目にあったのですか。

評論家は言います、「いい年をして貯金一つしていないのか」
給料が安いのは彼らのせいですか。

無責任な人々は吐き捨てます、「安易に派遣なんかを選んだお前の自己責任だ」
彼らは安易なのですか。
明日を考えない甘っちょろい若者ですか。
世の中の厳しさをわきまえない、世間知らずですか。

違います。
彼らは悪くない。
彼らは頑張ってきた。
彼らは懸命に生きています。
彼らの未来を奪ったのは彼ら自身ではありません。
彼らの希望を断ち切ろうとしているのは、新自由主義という名の強盗です。
真面目に働けば報われると、いま誰が言えるでしょうか。
明日を期待できない職場で、だれが真面目に働くでしょうか。
目先の儲けのために人を食いつぶす日本に、明日はあるのでしょうか。

日本にいまひとつの妖怪がのしあるいています。
その名を〈貧困〉という妖怪です。
貧困者は5つのものから排除されています。

「教育からの排除」。
お金がなければ進学もできない社会が現実化しています。
進学できなければ、望む就職が困難です。

「企業福祉からの排除」。
派遣労働者に会社は何もしてくれません
病気をすれば自己責任、滑り台のような下り坂の人生が待っています

「公的的福祉からの排除」。
貧困家庭は国民保険が支払えません
生活保護も機能していません

「家族福祉からの排除」。
貧困家庭は子どもどころではないのです。
お金を巡っていがみあう暗い家庭で、寂しい目をした子どもたちが泣いています。

最後に、自分自身からの排除です。
自暴自棄になってしまい、自分自身を信じられなくなります。
まじめに人生をおくろうという気持ち、それすら失わせるのが〈貧困〉です。

日本は本当にこのまま突き進んでいっていいのでしょうか?
国民の生活と暮らしを保障できない政府でいいのでしょうか?
私たちは広がる〈貧困〉にもうガマンできません。
〈貧困〉の問題は「見えない」ことが特徴です。
しかし〈貧困〉は、確実にあなたのそばに忍び寄っています。
〈貧困〉を目に見える形にすること。
無視できないものであることをみなさんに知っていただくこと。
それが本日の集会の目的でした。
あなたも貧困問題について考えてみませんか?
〈貧困〉をなくすため、世の中を変えるため、何かをして見ませんか?

だれもが路上に放り出されることなく、温かい部屋で眠れる社会。
それをつくるのは、そんなに難しいことなのでしょうか?

以上