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河村たかし名古屋市「南京30万人死亡」否定
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■30万人虐殺説は証明も否定もできない
南京で30万人が殺されたと断定できる根拠はありません。
それでは30万人説は否定されたかというと、否定できる根拠もないのが実状です。30万人説は多くの仮説の一つであって、いまだ否定も肯定もされていないのです。ですから「30万人説は証明されていない」というのは正しいけれど、「30万人説は誤りだ」と言い切ると、間違いになります。
私は30万人説に同意しません。しかし30万人説を否定する論拠には、30万人説以上に根拠がなく、史料事実に基づかず、従って間違ったものが多いので、ここで指摘しておきます。
■南京人口20万人説は間違い
「30万人は当時の南京の人口より多いので絶対違う」と河村さんは言います。けれど、当時の南京の人口が30万人以下であったと言う史料はありません。人口20万人説の根拠は南京市政府(馬超俊市長)が国民党に送った書簡(37年11月23日付)です。
調査によれば本市(南京城区)の現在の人口は約五〇余万である。将来は、およそ二〇万人と予想される難民のための食糧送付が必要である。
(笠原十九司『南京事件』)
読んでわかるように、11月時点では人口50数万人でした。そして20万人は「予想される難民の数」なのです。まず、「予想」であって、人口調査の数ではありません。つぎにこれは「食料のない難民の数」であり、人口を述べているのではありません。
■南京人口は20万人以上だった
では南京戦当時に、実際には幾人がいたのか。
国際安全区の市民
安全区の中には最低で20万人いました。
南京市民全員が安全区にいたのではありません。
市内には安全区以外に、難民収容所がいくつもありました。
難民収容所の市民
南京城内には「双塘難民収容所」がありました。
南京城外の南京市内には「鳳凰難民区」「莫愁湖難民区」「三汊河収容所」「宝塔難民区」「上新河難民区」「和記洋行」がありました。
居住区の市民
これらの難民区に入らなかった市民も大勢います。
いわゆる「便衣兵」の摘発を日本軍が行っていますが、安全区の外の街路でたくさんの男性を連行して、市民と「便衣兵」を分けたと書いていますから、市内にはたくさんの市民がいたことを、日本軍が証明していることになります。
ですから市内人口は20万人以上で、50万人程度だったかも知れません。
しかも南京事件というのは南京市だけの事件ではなく、南京行政区全体の出来事なのですから、南京城内だけの人口を問題にすること自体が間違っているのです。(*根拠については末尾注1を参照)
■市民人口だけを問題にするのは間違い
虐殺被害者は市民だけではありません。
大きく4つのカテゴリーに分類できるでしょう。
(1)中国軍の死者
日本軍の不当な侵略と戦って殺されました。戦いの面から見れば救国の英雄。殺された面で見れば虐殺の被害者です。
(2)便衣兵の死者
ア.便衣兵の処刑と言われているものの多くは市民を誤認殺害したものと思われます。不法な虐殺です。(*この根拠については末尾注2を参照)
イ.兵士が混じっていても多くは捕虜として保護すべき敗残兵に分類されます。不法な虐殺です。
ウ.本物の便衣兵の場合は捕虜になる資格がありません。兵士としてではなく、犯罪者として拘留され、裁判にかけねばなりません。裁判なしで処刑すれば不法殺害とみなされ、虐殺と言えます。
(3)捕虜の殺害
保護すべき捕虜を殺害するのは違法であり、虐殺です。
(4)市民の殺害
ア、戦闘巻き込まれ死
不法な侵略の被害者ですから虐殺されたと言えます。
イ、意図的な殺害
明らかに違法であり虐殺です。
これらの被害者の数は、日本軍の史料によれば数万人に及びます。
もちろん、失われた史料は数多くあり、史料に記録されていない死者も多いのですから、これは最低ラインを示すだけです。
30万人も被害者がいたというのは無理なようですが、絶対違うとまでは言えないというのが、現在の研究水準です。
このように、河村さんの発言は間違いもよいところなのです。河村さんは専門家ではないので詳しく知らないのは仕方のないことです。しかしそれならば、一知半解の知識で断定するものではありません。首長というのは責任の重い役職なのですから。
それにしても、いい加減な放談は1行ですみますが、それが間違っていることを指摘するにはこれだけの手間がかかるのです。うんざりするから止めて欲しいなあというのが、感想です。
*注1
一般的に南京アトローシティとは、南京攻略戦と掃討戦期間における、南京行政区での、捕虜殺害を含む殺人・強姦・暴行・強盗・放火・拉致などの乱暴狼藉を指します。それは極東軍事法廷で審理されたのがそういうものだからです。
極東軍事裁判の判決にはこう書いてあります。
南京から二百中国里(約66マイル)のすべての部落は、大体同じような状態にあった。
66マイルは106kmです。つまり南京行政区全体を対象にしているのです。
中国はどうかというと、あちらの歴史教科書にはつぎのように書かれています。
戦後極東国際軍事裁判の統計によると、日本軍の南京占領後6週間のうちに、身に寸鉄も帯びない中国人住民と武器を捨てた兵士で虐殺された者の数は30万人以上に達した。
(『中国の歴史 中国中学校歴史教科書』明石書店発行)
このように中国も極東軍事裁判の判決を根拠にしています。
否定派だけが、期間を南京占領後の二週間に限定し、地域を南京市街部だけに縮小し、そのうち強姦・暴行・強盗・放火・拉致についてはほとんど語らず、殺人だけに限定し、しかも殺人のうち市民に対する不法殺害だけが虐殺であると決めつけ、そのうえ30万人という数字だけに執拗にこだわっています。
あたかも「30万人」が否定されれば南京アトローシティそのものが否定されるかのような口ぶりです。期間と地域と対象とを極小化すれば、30万人が否定されるのは当たり前です。しかしその言い分は間違いで、世界に恥をさらし怒りを買っているだけです。
ところで否定派が自説の拠り所の一つとしている史料のひとつに「スマイス調査報告書」があります。この調査書は、南京市郊外の農村部を被害調査エリアに含めています。ならば、対象地域が南京市街部に限定できないことを、否定派自身が認めているのです。笑うべき話ではないでしょうか。
*注2
日本軍が便衣兵だと見なして捕らえたのは、要するに私服を着た男たちです。それが私服を着た市民なのか、私服を着た兵なのか、それを厳密に調べないまま大量処刑しています。ではその中に便衣兵はいたのでしょうか。
1.南京攻略戦で大量の便衣兵が戦闘に参加した記録が、日中双方ともに存在しない。
2.南京市内掃討戦で私服のゲリラが戦闘した記録がない。
3.南京市内で大量の武器が隠匿されていた記録もない。
この3つの理由から、南京には便衣兵などほとんどいなかったと推測できます。いないものを捕らえることはできないはずですが、実際には大量の「便衣兵」が処刑されています。
4.日本軍が便衣兵と断定した根拠が薄弱
手に豆がある、帽子の跡がある、体格がよいなどの理由で日本軍は捕らえた男を便衣兵と見なしています。しかしこんな基準では、農民や肉体労働者と区別できません。
こういった事象から、私は便衣兵の処刑と言われているものの多くは市民を誤認殺害したものと見ているのです。