沖縄強制集団死 意外に知られていない小ネタ

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=677058633&owner_id=12631570

軍命令否定派の「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」のブログ、詳しい傍聴記を私はいつも楽しみにしています。ずいぶん前のことになりますが、第一回の証人尋問は、赤松部隊の中隊長だった皆本義博氏と、赤松隊長の副官だった知念朝睦氏でした。(あとひとり、宮城さんと。)

2人は軍命否定証言ですけど、ともかく赤松隊長の一番身近にいた人の証言ですから詳しく知りたいものです。で、全文引用します。
http://osjes.jugem.jp/?month=200707

皆本さん、知念さんとも、「自決命令など聞いたことがない」と明確に証言されました。

2人の証言については、これで全部です。なんじゃ、こりゃ~ですよね。

で、否定派が知らせたくない彼らの証言の一部を、『大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会』のブログから、その内容のエッセンスだけ、ここに紹介します。
*http://www.sakai.zaq.ne.jp/okinawasen/

<赤松部隊の中隊長だった皆本義博氏>
皆本氏は手榴弾を住民に配っていないと主張したものの、赤松隊長の命令なしには住民への手榴弾の配布はありえないことは認めた。最後に、強制集団死の責任を問われた皆本氏は、それは現地隊長の責任ではなく、帝国陸海軍全体の責任だと述べた。
(どろ:「帝国陸海軍全体の責任だ」と述べちゃったんですね。)

<赤松隊長の副官だった知念朝睦氏>
渡嘉敷島で、米軍の捕虜になって逃げ帰ってきた2人の少年が「汚名をどう償うか」と赤松戦隊長に追及されて自殺に追い込まれた事件や、米軍に投降して伊江島からきた女性2人、朝鮮人軍夫3人、島内の学校の教頭などがスパイや敵前逃亡などの理由で処刑された事実について追及されると、戦隊長は捕虜になることを許さなかったこと、処刑は赤松隊長の命令で行われたこと、その命令は口頭で出されたことを認めた。
(どろ:捕虜になることを許さない赤松隊長の考えを、はっきり証言してしまったんですよ。また住民処刑の事実が、住民以外から証言されたんです。)

「敵の捕虜になるな、いざという時は潔く死ね」と日ごろから住民に教えていたのではないかという点について。

<皆本氏の証言>
その集会は赤松隊長かその代理しか出ていないから自分は出たことがないから、何が話されていたかは知らない。

<知念氏の証言>
将校も兵隊も参加していたが住民がいた記憶はない。

皆本さんは、真相を知っているのは故・赤松隊長とその代理(副官の可能性が高い)だけだと逃げています。皆本さんは出席していないと逃げたけれど、知念さんは「兵も出席していた」と言います。これは矛盾です。

知念さんは、ともかく副官の自分が出席していないとはさすがに言えないから、「敵の捕虜になるな、いざという時は潔く死ね」という訓辞があったことまでは、否定できなかったんですねえ。だってそれは日本軍全体の方針だったんだから。でもそこには住民がいなかったから、住民に対する命令ではないと……。

しかし大詔奉戴日の集会に住民を集めるのは、沖縄中で行われていたはずですよ(このあたりは輝吉さんがくわしいはず)。渡嘉敷島だけ住民を集めていないなんて、本当なら職務怠慢ですよ。苦しい言い抜けです。

皆本さんは何を逃げているのでしょうか。
知念さんはどうしてこんな不自然な証言をするんでしょうか。
私なんかはここに「命令」とまではいかなくても、それに近い何かを感じとってしまいます。
「冤罪訴訟を支援する会」のブログが、せっかくの証言をたった2行ですませているのも、私みたいに感じ取られることを予想しているのかな、と。
これも邪推でしょうかねえ。