学校に行きたいと言うと撃たれる文化

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1875376186&owner_id=12631570

パキスタンで、女性の教育の権利を否定するイスラム過激派組織をインターネットで批判していた14歳の少女が、下校途中に銃撃され、国際社会から強い非難の声が相次いでいます。

これがタリバンだけの思想ならまだ対処しやすいかも知れないが、「おなごに学問はいらん」というのが、どうやらあの地域の常識のようで、特にタリバンだけの思想ではないようだから厄介だ。

アフガンでタリバン勢力を根絶できない理由のひとつが、ここにあるらしい。地域の美風だと信じられている伝統(その中には女子教育の否定も含まれる)を壊す西洋の、一方的な価値観押しつけに対する民衆の素朴な反発が、タリバンを支持する空気を生んでいるというのは、中村哲先生が繰り返し語っておられるところだ。

ところで「おなごに学問はいらん」というのは、何も特殊に偏った考え方ではない。

他ならぬ日本にも、昔は普通に見られた意見だ。いや、保守主義の論客の中には、今もそのように語って恥じない者もいる。

日本には女子の大学入学を許さない法がかつてあったし(明治政府のことだ)、一昔前までの多くの親が、娘に進学を許さなかった。女子教育への反対をこの程度にとどめるか、それともタリバンのように少女を銃撃してでも阻止しようとするか、これは程度問題ではあるまいか。

いや、少女の命を奪ってでも教育を阻止するなどというのは狂気の沙汰で、程度問題というより質が違う、こういう評価もあると思う。

もともと女子教育に反対が強いアフガンの田舎に女子教育を根付かせようと考えるなら、こちらの考えをとるしかない。

「たしかに女の子もやり過ぎだが、いくらなんでもタリバンはひどい。あんな乱暴な奴らが戻ってきたら、奴らの気にくわないことを言うと殺されかねないぞ」という世論を広げるというやり方だ。

だが、この論法では、女子教育否定をいったん肯定しなければならない。
せっかちな欧米勢進歩勢力に、それができるだろうか。
清濁併せのむことができず、正論ただひとつを以て、性急にことを進めようとすれば、どうなるのだろう。

「女の子を撃つなんて、タリバンはひどいよな」
「でもタリバンがいなくなったら、白人連中が学校を建てるぞ」
「そして、女どもを通わせるんだぞ」
「すると、いろんなことに女どもがしゃしゃり出てくるぞ」
「それはとんでもないことだ。女が偉くなっても、ろくな事にならない」
「だったらタリバンがいたほうがいいってことかい?」
「タリバンが戻ってきたらどうなるんだろう?」
「タリバンが戻ってきたら、アッラーを称えるのさ」
「いいことじゃないか。他には?」
「不倫した女は石打の刑だ」
「おお! 当然のことだ」
「タリバンが戻ってきたら、お前の生意気な女房もたちまち黙るだろうさ」
「なんと、夢のようだな」
「中央政府の言うことも聞かなくていい」
「村のことは村の男で決める。何もかも昔どおりさ」
「いいことずくめじゃないか!」
「タリバン万歳!」
「タリバン万歳!」

……いや、これはよろしくない。
そこで。

「タリバンはいいことばかりするのかな」
「いきなり酒を禁じるぞ」
「それは、ちょっといただけないな」
「音楽を聴いたらむち打ちの刑だ」
「おいおい、やめてくれよ」
「だから今のままがいいのさ」
「というと?」
「昼間のさばるほどにはタリバンも強くない、が、どこかで目を光らせてて、ここぞというときに、やるときはやる」
「すると、タリバンが強くては困る外国が、我が国を援助してくれる」
「政府軍や警察っていう仕事にありつける」
「タリバンの仕掛け爆弾で死ぬのは町の連中ばかりだ」
「あんな連中がどうなろうと知るもんか」
「だけど、女の子を撃つのはやり過ぎだ」
「それはそうだが、タリバンが1人もいないと、村に学校がやってくる」
「だがタリバンがいれば、学校を燃やしてくれる」
「ほどほどがいいな」
「うん、ほどほどがいい、それが一番いい」

……アフガンの夜明けは遠いかも知れませんな。
なににしろ、改革には時間がかかるもんです。

パキスタンでタリバン批判の14歳少女、下校途中に銃撃され重傷
2012/10/10

[ペシャワル(パキスタン)9日 ロイター] パキスタン北西部のスワト渓谷で9日、イスラム武装勢力タリバンを批判するブログを書いて脚光を浴びた14歳の少女が、タリバン兵に銃撃され重傷を負った。

銃撃を受けたのはマララ・ユスフザイさん。警察によると、ユスフザイさんは下校するためスクルーバスに乗っていたところ、頭部や首を撃たれた。別の少女2人も負傷したという。

ユスフザイさんは、パキスタンのタリバン勢力の脅威にさらされた学校生活をブログでつづっていた。英BBC放送が報じた11歳の時のブログでは、「友達が私に『学校はタリバンに襲われるの』と聞いてきた」「朝礼で、タリバンが嫌うカラフルな服を着ないように言われた」などと書いた。

ブログの書き込みが評価され、ユスフザイさんは後に同国で最も栄誉ある市民賞を受賞。国際的な賞にもノミネートされた。

一方、タリバンの報道官は今回の犯行を認めた上で、「彼女(ユスフザイさん)は親欧米で、オバマ米大統領が理想のリーダーだとしていた」と批判。「彼女は若いが、パシュトゥン族が住む地域で欧米の文化を推進していた」と述べた。

これに対し、米国務省のヌランド報道官は「暴力を子どもに向けるのは野蛮な行為で、卑劣なやり方だ」と非難。「彼女や他の負傷者、家族らに対しお見舞い申し上げる」と話した。

https://jp.reuters.com/article/tk0526043-pakistan-schoolgirl-idJPTYE89903620121010