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本日は第3次アフガン戦争が終結し、アフガンが英国から独立を達成した日だ。大英帝国とアフガニスタンは、3度にわたって戦い、いずれも作戦的にはイギリス側が勝利している。
■第1次アフガン戦争 1839年
英国との戦いというより、イギリス東インド会社とアフガンの戦いだった。イギリスは、会社が軍をもっていたのだ。イギリス東インド会社軍は新しく即位したアフガン国王が気にくわなかったので、アフガンに攻め込んだ。カンダハール、カブールなどとをつぎつぎに落とし、アフガン国王は敗れて亡命し、捕らえられた。
ここで普通なら戦争は終わるはずだが、アフガンの戦争はそういうものではなかった。国がなくなっても民衆が戦い続けるのだ。激しい反乱に手を焼いて、カブールに駐留していたイギリス東インド会社軍はたまらずに撤退した。
この撤退作戦が失敗し、アフガンゲリラの襲撃で1万6000人が全滅した。イギリスは頭に来て、作戦目的不明の動員をかけて再侵攻し、カブール周辺を荒らしまくったが、何も得ることができず、捕らえていた国王を復位させ、戦争は終結した。
イギリスにとってみれば、何のための戦争だったのやら、わからない結果に終わったのだ。
■第2次アフガン戦争 1878年
アフガンの一部勢力とロシアが手を結んだのを、ロシアのアフガン進出とみて、英国はアフガニスタンに宣戦を布告した。戦闘はイギリス軍の完勝で、英印軍はカブールなどを簡単に占領した。
しかし前の時と一緒で、ゲリラ闘争がやまない。戦いが長引くと、英印軍には疲れが見える。1880年にマイワンドの戦いで英印軍が大敗を喫するなど、損害が目立ち始めた。
結局、双方とも完全勝利を得られないので妥協し、アフガンは英国の保護国となるが、国王の自立支配を認めるという玉虫色の決着で戦争は終結した。
■第3次アフガン戦争 1919年
これはアフガン独立戦争であり、アフガンムスリムにとっては「ジハード」だった。いつもどおり、正面作戦は、飛行機も動員したイギリス軍の圧勝だった。だがいつもと同じで、その後は双方共に決定的な勝機を得ることができなかった。
何度も消耗戦を強いられるばかりで実益がまったくないアフガンを維持する気力を、イギリスは失った。もう勝手にしろとばかりに、(負けてもいないのに)アフガンの完全独立を認めたのだった。
■アフガンの主役はアフガン農民兵
アフガン人民にとって、政府が負けようと、なくなろうと、知ったことではないのだ。
誰に命令されなくても、勝手に攘夷運動を始めてしまう。
その後、アフガン支配を目論んだソ連も、同じやり方で泥沼に入り、逃げ出した。
いま、米軍も農民の攘夷運動にほとほと手を焼いて、適当な口実を設けて撤退しようとしている。
第1次アフガン戦争から170年以上、何度失敗しても、入れ替わり立ち替わり、脇役だけを変えては同じことを繰り返す(主役はアフガン農民兵だ)。
これを見て、人間って馬鹿でないかいと思ってしまうのは、私だけではないだろう。世界平和は遠いなあと、溜息が出そうな、本日はそういう日でした。