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■アラブとイスラエルの宗教対立は本当か
以下のすべては真っ赤なウソ、デタラメです。
- アラブとイスラエルの戦いは聖書時代にさかのぼる根の深い対立だ。
- ユダヤ人は2000年間、故郷に帰るのを夢見ていた。
- 「シオン議定書」に明らかだがイスラエル民族は世界支配をたくらんでいる。
敵も味方も第三者もマンガのようなデタラメに振り回され、その結果数え切れない悲劇が起きている。なんなのでしょうか、これは。以下、私が本当はこうだろうと思っていることを書いて、皆さんの感想を求めたいと思います。
■「シオン議定書」は存在しない
「シオン議定書」なんて普通の人は知らないので説明を。「シオン議定書」とは1897年にスイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議で、ユダヤ人の秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが発表した24項目の秘密決議文のことで、うっかり外部世界に流出したのだとか。ヒトラーもこれをユダヤ人弾圧の理由に使いました。
しかしこれは全くのデタラメであることが分かっています。ユダヤ人を迫害していた帝政ロシアの秘密警察がねつ造したものです。ハマスらイスラム原理主義者はいまだに「シオン議定書」を信じていて、世界征服をめざすイスラエルとの戦いはただアラブのためではなく、人類の正義なのだと言っています。
■聖書のパレスチナ人は現代パレスチナ人ではない
パレスチナ人は旧約聖書にペリシテ人として登場しており、ユダヤ民族と対立・抗争を繰り返していたと言います。旧約聖書によれば、有名なサムソンが捕らえられたのはパレスチナの「ガザ」の町でした。ユダ王国のヒゼキア王が「ガザ」を攻め落としたという記述もあります。
しかしイスラエル人とパレスチナ人が古代から戦争していたというのはデタラメです。聖書に出てくるペリシテ人がパレスチナ人だというのは間違いなんです。アラブ系の現代パレスチナ人は、聖書時代にパレスチナに住んでいませんでした。
今日の研究では、ここらあたりはつぎのようになっています。すなわちペリシテ人とはギリシャ系民族であり、ミケーネ文明が衰退してからパレスチナに移住したもので、その後土着のカナン人に同化し、民族としては消滅しました。カナン人とは後のフェニキア人のことです。
■現代ユダヤ人は古代ユダヤ人を殺している
国がローマに滅ぼされる以前、ユダヤ人はすでに周辺のアラブと文化的な一体化が進んでいました。(ナザレのイエスもヘブル語ではなくアラブ人の使うアラム語を話しています。)古代イスラエルが滅亡すると、彼らのほとんどはすぐに周辺アラブ世界に同化してしまい、後にイスラムに改宗しました。
ですから強いて言うならいまイスラエル政府が弾圧しているアラブ人こそが古代ユダヤの民の遺伝子を受け継いでいるのです。一部に同化しなかった人もいるそうですが、彼らはアラブ人と共存していました。
■古代ユダヤ人と現代アシュケナージ・ユダヤ人は無関係
ローマ時代に迫害をこうむって本国から出て行った人たちは、今日のスファラディ・ユダヤ人だと言われています。スファラディ・ユダヤ人は現代イスラエル国家の少数派で、労働者階級です。今日イスラエルを支配しているのはアシュケナージ・ユダヤです。
じつはアシュケナージは古代イスラエルとまったく無関係なのです。彼らはハザール民族であり、血縁的にユダヤ人と何の関係もありません。ハザールは今から1500年以上前から黒海の北にいた民族です。これは後で説明します。
ともかくユダヤとアラブの長い対立というのは、シオニストが戦争し支配するために聖書を利用してでっち上げた幻で、聖書に登場する民族は今日ではすっかり入れ替わっていて、もうそこに住んでいないのです。
■陰謀論に気をつけよう
アラブとイスラエルの対立は、初めから終わりまでウソとデタラメ、歴史的誤謬に彩られ、煽られているのです。こういうデタラメがまことしやかに通用している原因は何でしょう。私は不信感だと思います。
よそ者嫌い、外国人嫌いは世界共通の現象です。わけのわからない奴らだ、何を考えているかわかったものではないという恐怖感が、根拠のない言説に説得力を与えるのです。フリーメーソン、イルミナティ、ロスチャイルドなどの世界征服系陰謀論。アポロ月着陸でっち上げ論、宇宙人誘拐説などの妄想系陰謀論。これは他人事ではありません。ネット世界に溢れる中国陰謀論はひどいものです。先日の国籍法騒ぎも、根っこはここにあります。南京事件まぼろし説なども陰謀論の一種です。
よそ者嫌いは私たちの根底に強く巣くっていますから、なかなか克服が困難です。しかしそれを克服しないと世界はいつまでたっても平和になりません。世界の動きが複雑でよくわからないとき、陰謀論は便利です。一度陰謀論を受け入れる下地ができてしまうと、ある事件は、じつは裏でこんな陰謀があったんだと説明されるとすごくわかりやすくなり、証拠は何もないけど話のつじつまがあっているように見えるので信じてしまうのです。客観的に、冷静にものごとを見る態度をいつでも養いたいものだと思います。
■なぜハザール人がユダヤ人になったのか
奇妙なハザールの歴史
ハザール人はもともとフン族(匈奴)の支配下にあり、戦いに堪能な「戦士民族」とされていました。その後はコーカサス北諸族最強の民族として西トルコ帝国(西突厥)に服し、帝国最強の実戦部隊として活躍しました。帝国が滅ぶとハザール人は自らを「西突厥」の継承者と名乗り、ハザール汗国を建てます。ハザール汗国はハザール王国ともいいます。その支配地域は黒海北部にあり、今日の東ヨーロッパ全土に影響を及ぼしていました。
9世紀はじめ、ビザンチン帝国とアラブ諸国の圧迫を受けたハザール王オバデアは対抗的にユダヤ教に改宗しました。そのいきさつは分かりませんが、アブラハムの神はキリスト教とイスラム教がともに崇める神ですから、二つの上位に位置する宗教だという考え方をしたのでしょうか。そしてこれ以後、かれらは自らをジューイッシュと称しはじめます。ジューイッシュとはユダヤ教徒を意味しますが、同時にユダヤ人という意味もあります。
ハザール汗国は後にキプチャク汗国に滅ぼされます。13世紀のことです。その後、ハザール人の記録は歴史から消え去り、彼らが勢力を張っていた地域でユダヤ人迫害が始まるのです。
つまり今日ユダヤ人と言われている人々は、滅亡したハザール王国の難民だったのであり、誇り高い戦闘民族として周辺民族に過酷な支配を敷いていたので、その反発から迫害を受け始めたのでしょう。ジューイッシュ(ユダヤ教徒)に対する迫害が、いつしかジューイッシュ(ユダヤ人)に対する迫害と同一視され、ハザール人自身もいつの間にか自分をユダヤ人だと考えるようになっていったのです。