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中学生暴行 逮捕の米兵を釈放
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日本では強姦された被害者が告発するのは1%程度なんだそうだ。
『犯罪被害者支援の理論と実務』
犯罪被害者支援法律実務研究会 編
民事法研究会 発行
この本によれば、被害女性は次のような精神的後遺症が残るという。
強姦の被害を受けた女性は、強く「汚れてしまった感じ」を抱いている。強姦という犯罪は、被害者から、自分が大切なものであり、守るべきものであるという感覚を奪う。
「自己の人間としての価値」は、人が健康に生きる基本となる感覚であるが、強姦被害を受けると、この価値観を喪失し、自分は無力になり、卑小になってしまったという感じをもつ傾向が強い。無力感や卑小感に打ちのめされる被害者は、その後の被害に対しても自らを守ることが難しくなる。……中略
自分という存在に守るべき価値が感じられない、自分はつまらないものだという感覚が、自分を容易に傷つける方向へ自らを追いやっていく。……中略
未来は何が起こるかわからない危険に満ちたものに感じられ、計画を立てたり、それを実行していく自信や勇気が失われ、実行することを避けるようになり、自分は長く生きられない、という感じをもつ。
なんとも言いようのない内面被害だ。このような感情・感覚をいやして自身を取り戻すためには、自分の被害と向き合って、自分は被害者であって、悪いのは加害者なんだという当たり前の関係に気付くことから始まるだろう。
そのようなまっとうな強さを取り戻すには、まずは周囲のいたわりが必要になるはずだ。
「あなたは悪くないよ」
そういって受け止め、やさしく抱きしめてあげる人が必要なのだ。人間的に被害者を包み込む環境、そういう社会が必要なはずなのだ。そのプロセスを経て、ようやく被害者は次に犯罪加害者に立ち向かうことができる。立ち向かい、たたかって、人間としての尊厳をようやく取り戻すことができるのだ。
なのに14歳の少女は、信じられない事態に直面した。
犯罪被害にあったのは、あたかも被害者のせいであるかに叫び、あろうことか被害者を糾弾するような仕打ちにあってしまったのだ。
こんな目にあえば、成人女性でも打ちのめされるだろう。まして14歳の少女なのだ。小さく縮こまって非難をやり過ごさねばならなかった彼女は、どんなに苦しかっただろう。
こんな社会が強姦犯罪を野放しにするのだ。少女をバッシングした者たちは自らを恥じるがよい。野蛮で汚らわしい社会を肯定し、その存続に貢献できたことが嬉しいか。性犯罪者の免罪に手を貸して満足か。ひとりの少女から人間としての誇りを奪い、一生残るかも知れない精神的外傷を負わせ、彼女の立ち直りを阻害できたことに胸を張れるのか。
犯罪の告発に至れる女性が1パーセントしかいない日本。100人のうち、1人しか声をあげられない日本。残りの99人に口をつぐませているのは、お前たちだ!
私は少女をバッシングした者たちと同時代に生きていることが、たまらなく悲しい。恥ずかしい。
いま、彼女は静かな環境を求めているという。せめてその思いは大事にしてあげたい。
しかし犯罪者が免罪されてよいはずがない。この犯罪に手を下したのは、ひとり加害当事者だけではない。犯罪者はひとりの米兵ではないのだ。
「基地」そして差別的な「日米地位協定」。さまざまなイベントに米兵を売り込み、子どもたちににこやかに接して、米兵がまるで親切なお兄さんであるかのように演出して警戒感を解きほぐそうとしている、米軍の「良き隣人作戦」。それに迎合して迷彩服の米兵を学校に招き、子どもたちと遊ばせ、「兵隊さんは親切でした」などと子どもたちに言わせている沖縄県行政と文科省。これらこそが真の犯罪者なのだから。
それにしても。私はつくづく、この日本という社会がいやになった。どうにかしなければ。このままでは、まともに人間らしい声すら上げることができなくなりそうだ。