『泥憲和全集―「行動する思想」の記録』が完成しました(ご注文はかもがわ出版へ)。
巻頭言を掲載いたします。
『泥憲和全集―「行動する思想」の記録』刊行にあたって
「泥憲和全集」編纂委員会 責任者 岡林 信一
本書は泥憲和さんが2007年6月29日から17年5月3日に永眠するまで、約10年間にわたりミクシィ(mixi)、フェイスブック(Facebook)、ツイッター(Twitter)といったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に公開した膨大な書き物を、テーマ別に構成・編集したものである。
「全集」といっても、公開された総字数は300万字をはるかに超え、単行本にして数十冊分にも達するため、集めることのできた全文を精査し、エッセンスを収録したものである。
一個人のSNSでの発信を、とくに生涯にわたって著したものを全集として刊行するのは、世の中に数多ある出版物の中でも数少ないかもしれない。
SNSでの発信は、ツイッターなら「つぶやき」、ミクシィならば「日記」、フェイスブックでは「タイムラインへの投稿」といわれ、通常は、日々の出来事や感慨を書き連ねたり、友だちへのメッセージとして使われている。長文の論考を掲載する場としてはほとんど使われない。
しかし、泥さんがSNSに書き残したものの中には、しっかりとした論理構成でテーマを定めて発信しているものが多くある。誤字脱字などはほとんどなく、推敲を重ねた投稿をしていたとみられる。もとより泥さんは、ネットでの投稿は自由に転送・転載してかまわないと表明していた。つまり、自分が書いた物が拡散されることを願って、誰が読んでくれてもいいように文章を発信していたのであり、だからこそこの「全集」を編纂することが可能となったのである。
泥さんの3つの戦線―情報戦、街頭戦、陣地戦
泥さんの論考を読めば、秀でた調査力と論戦力に脱帽するしかない。そして、そこに「行動」が伴っているから、その「思想」はいっそう輝きを増すのである。
泥さんが行動してきた戦線は、おもに3つであったろうと考える。
ひとつは、「ネット上での論戦(情報戦)」である。
泥さんは膨大な投稿を連ねたが、そのモチベーションが持続したのはSNS上での論争のゆえである。
ネット上での論争相手は、いわゆる「ネトウヨ」と俗称されるような歴史修正主義者や排外主義者、レイシスト、憲法9条・平和主義を否定する改憲論者、他宗派を論難する偏狭なセクトなどだ。これらの、人権や民主主義、平和を脅かす言論に、泥さんは言論を対置してたたかい続けていた。
また、ときには必要に駆られて、護憲派・平和主義者、反原発派、反差別などの市民運動の内部にある、市民社会から乖離しかねない言動への建設的な批判も忌憚なく発している。世にはびこるデマや陰謀論、ニセ科学といったものにも実証的な批判・反論を続けた。
そして、論争を経て整理された論考がSNSにアップされている。それぞれの論考の前段には、数々の論争と対話が存在するのである。
泥さんの論争と論考の特長は、一次資料にあたって実証的に論じていること、客観性と公平性、そして倫理に支えられていることである。そして、それが平易な言葉で語られていることである。専門的知識がなくとも理解でき、説得力がある。
もうひとつの戦線は、「街頭でのたたかい(街頭戦)」である。
泥さんの発言が多くの人に注目され、勇気を与えたのは、街頭でのたたかいで新たな地平を切り開いたからでもある。
2009年頃から、ネットでの差別的言辞がついに街頭に現れ、在日朝鮮人などにぶつけられるヘイトスピーチとして跋扈するようになった。それ以来、泥さんは、街頭での非暴力直接行動に乗り出すことになる。
2010年1月10日、神戸のJR新長田駅前。従軍慰安婦問題で街頭宣伝を行う市民団体を妨害しようとするレイシスト集団に対し、泥さんはたった一人で果敢に論戦を挑んだ。
その状況が動画サイトで流されて、泥さんの存在が一躍知られることとなる。それ以後、泥さんは、レイシストの非道な行動に抵抗する非暴力直接行動―後に「カウンター」と名付けられる行動―の「元祖」として伝説の存在となった。
安倍政権の集団的自衛権容認と安保法制の強行採決に抗議する街頭での活動でも、泥さんの存在は広く知られることになり、共感の輪が広がった。
それは、安倍内閣が集団的自衛権容認の閣議決定を行う前日のことだった。神戸市の三宮で青年団体が行っていた抗議宣伝に泥さんは飛び入りで参加し、ハンドマイクを握って訴えた。その演説の内容を翌日、泥さんがフェイスブックに投稿したところ、爆発的な拡散が起こり、累計2万2000シェアされ、8000人以上が「いいね!」をつけた。
泥さんは地元姫路で、貧困やクレサラ問題〔クレジット会社やサラ金業者による高金利貸し付けや取りたてをめぐるトラブルなど〕で困っている人たちに寄り添う弁護士事務所で働きながら、憲法集会など平和運動の裏方役を引き受けていた。知る人ぞ知る存在であったが、一躍、全国的にその名が知れ渡ったのである。
そしてもうひとつの戦線が、これら2つの戦線で培った論戦力・調査力をいかんなく発揮した、晩年の「講演活動による連帯(陣地戦)」である。
がんとの闘病を続けながら、泥さんは講演活動で全国行脚した。『安倍首相から「日本」を取り戻せ‼ 護憲派・泥の軍事政治戦略』(かもがわ出版)を著したのもそのころだ。泥さんを知り、影響を受けた人の中には、この時期に泥さんを知ったという人が多いのではないだろうか。
全国各地での講演回数は、私が把握する限り、2014年8月から17年1月までの2年5カ月で、約150回を数える。がんとの闘病、街頭活動、ネットでの活発な発信と論戦を続けながらであることを思えば、驚異的なペースである。まさに泥さんは、命を削るようにして、連帯を求める人たちに応えてきたのである。
8つの泥憲和像
泥さんの関心や問題意識の全容は目次を眺めて把握していただきたいが、本書を読み進めれば、理論や情報だけでなく、人間・泥憲和の多様な側面を感じることができると思う。感じ方は人それぞれだろうが、参考までに記すと、泥さんには次の8つの「泥憲和像」があると私は考えている。
① 軍事的知識に立脚した反戦元自衛官
② 非暴力直接行動の元祖レイシスト・カウンター
③ 実証的な反歴史修正主義者
④ 弱者に寄り添う反貧困の弁護士事務職員
⑤ 平和運動の裏方
⑥ リアリスティックな社会運動家
⑦ 経典に忠実な浄土宗門徒
⑧ ユーモアで政治を語るジョーカー
反戦・反差別・反貧困の有機的知識人
泥さんは貧困や差別、戦争に対して、それらを容認し扇動する人々に対して、とくに権力をもった政治家たちに対して、真っ向から言論でたたかいを挑み続けた。社会的に弱い立場にある人たちに寄り添い、時には身体を張ってまで守ろうとした。
それは泥さんが63年間生きてきた中で自ら経験した貧困、差別、戦争のリアリティと、その中で常に犠牲となる弱者と共有した体験ゆえであろう。
これこそ、泥さんの肉体が滅んでもなお、その魂が私たちの心の中に存在し続ける理由であり、私たちの生き方や実践に影響を与え続けるものであろう。
戦間期イタリアの革命家アントニオ・グラムシの言葉で言えば、まさに泥さんは「サバルタン(従属諸階級)の有機的知識人」である。それも、ITの普及によって言論と情報の時空が飛躍的に拡大した時代において、強者の支配に対して「カウンター・ヘゲモニー」を醸成させてきた21世紀型の有機的知識人といえよう。
以上の私の説明は、わずか十数年ではあるが泥さんと親交を深めた経験と、300万字超の泥さんの文章を読んだ上でのものである。
もちろん、私と異なる泥憲和像を描き、異なる解釈をする方もいるだろう。泥憲和を思想家、理論家、活動家として評価するにあたっては、今後も多様な研究が求められるであろうし、私も研究途上である。私の見解が批判され、その不十分さを修正することができるよう、「泥憲和研究」が進むことを期待したい。
「全集」には収録しきれなかった泥さんのSNSでの発言、またネット上の言論だけにとどまらない活動の記録や資料については、これからも有志とともに整理し公開する作業を続けていく。泥さんを一部の人間の「記憶」だけにとどめず、後世の人々にも伝えられるよう「記録」として残していきたい。
その出発点としての『泥憲和全集』の刊行を、泥さんは照れ笑いしながら、極楽浄土で喜んでくれていることであろう。 (おかばやし・しんいち)
私たちはDoro Project。
泥さんはmixiやfacebookなどで精力的に発信しました
呼ばれればどこにでも行って話をし、
泥さんは2017年5月3日憲法記念日に浄土に旅立ちました。
ご感想・ご意見は「泥憲和」Facebookページへお寄せください。
泥憲和全集 10月刊行予定
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泥憲和さん略歴
1954年兵庫県姫路市生まれ。1969年陸上自衛隊入隊。少年工科学校(現在の陸上自衛隊高等工科学校)を経てホーク地対空ミサイル部隊に所属。1978年工場経営。1992年神戸及び姫路の弁護士事務所に勤務。集団的自衛権、改憲問題、人種差別など様々な社会問題に体を張って取り組む。
アーカイブの全体構成(予定)
安全保障・軍事
東アジア
沖縄
国際紛争・テロ
歴史認識
原発問題
反貧困
労働問題
政治・社会・時事評論
*以下は公開準備中です
科学・デマ・陰謀論
宗教論
エッセイ
雑誌・新聞掲載論文
紹介記事
現時点までに発掘できたものだけで、すでに総字数300万字超(
どこまで増えるかアーカイブ・プロジェクトチームにも全容未詳。
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